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アメリカ出向とジョナサンの話

2020年8月13日

(タイトル写真はアパートのベランダにやって来たリス)

2003~2004年、アメリカCA、シリコンバレーにあるグループ会社に出向になった。当時英語もあまり出来ず、海外でアパートを借りて自炊生活をするのも初めてだった。
現地会社の日本人社長以下数人の日本人スタッフは、当初俺に対して冷たかった。買収元のグループ会社から偵察のために送られた人間だと疑われていたのではないかと思う。実際は日本支社の社長にアメリカで仕事してみたいと訴えて無理やり出向を認めさせたのだった。「アメリカから帰って来たら、お前の仕事はなくなってるかもしれないけど、それでもいいのか?」と聞かれたが、それでもいいから行かせてくれと答えた。

アパートの契約とレンタルの家具の手配は現地の日本人社長にやってもらったが、電気、水道、ネットなどの生活インフラの契約や、調理器具などの生活用品の購入は全て自分でやらなければならなかった。分からないことがあって日本人スタッフたちに聞いても、彼らからは木で鼻をくくったような答えが返ってくるだけだった。

アメリカでの生活と仕事に戸惑う俺を、何から何まで親身になって助けてくれたのは、若い中国人のジョナサンだった。彼は日本に留学して東工大で修士の資格をとっていた。 俺は家族を含めても人からこんなに親切にされたことがない、というくらい親切にされた。人に親切にするということは、こう言うことなのかと知った。彼がいなかったら俺のアメリカでの体験は全く違っていたものになっていただろうし、自分自身の今の考え方も随分違っていただろうと思う。
会社にはジョナサン以外にも、多くのアジア人がいたが彼らもいたって気のいい奴らで、毎日楽しく冗談を言い合ったりしていた。

出向の期間が終わって帰国する前の晩、日本から送った荷物と現地で買った物を全て荷造りして、配送業者に渡すものと、会社の倉庫に保管する物に分けて車で運ばなければならなかった。ところが風邪を引いてしまったらしく38℃以上の熱が出て体調は最悪だった。それでも時間がないのでアパートで心細い気持ちでノロノロと作業をしていたところ、ジョナサンが会社帰りに手伝いに来てくれた。そして彼は「私が全部やるからシグは寝てていい」と言ってくれた。俺が「そんなこと悪くて出来ないよ」と言って作業をするのを押しとどめるようにして、「寝てろ、寝てろ」と何度も繰り返すのだった。 俺は今でもその時のことを思い出すたびに涙がこぼれてくる。そして俺もこんな親切が出来る人間になりたいと今でも思ってる。