人を育てる 難しさ
いつもと違う形のnoteです。
いつも書くnoteは、何かしら私自身がちゃんと考察し、自分の意見を主張したり、今後の展望を述べたりしています。
ただ、今回は割りと”お悩み相談”? に近い話です。
何かしら解決になるという話はないので。
仕事においてですが、
かれこれ30歳が目の前に来てる歳になり、社歴としても7年目になります。
通関士として、通関業務を正式配属されて以降、続けてきており、経験としても積めてきており、一端にはできてると思うぐらいには自信は付いています。
実務管理者の上司が在宅業務をするようになってからは、代わりに日常業務の割り振りや全体の業務管理っぽいこともするようになったので、それこそ管理職がやらないとどうにもならないようなこと以外はできるようになってます。
それこそ、今の部署でやれることの結構はできるようになっています。
別に、今後や将来を考慮しなければ、今のままでいいとも思っています。
ただ、そんな私が今悩ましいことが、人をどう育てるかということです。
会社の都合があるため、いろいろ得手不得手がある人間が新たに配属されます。
私が配属される前までは、そこまで人の入れ替わりが激しくはなかったのですが、色々な事情で5人が去り、5人が入ってきました。
もちろん、ひと通り仕事ができるように教えることはできますし、実際ある程度戦力にはなってくれました。
相手の視点で考える
ただ、一言で言えば、”客観的にものごとを考えられる”ようには、教えられなかったというところが、私の中で大きな問題になっています。
たとえでいえば、税関や客先、客先と話す自社の営業担当、それぞれがどういう風に考えるか
という風な思考ができないというところです。
仕事の中で、色々なことを聞かれたり、直面したりします。
もちろん、自分自身の経験上ないこともたまに聞かれることもあります。
通関という仕事上、客先から「通関上問題ないか、どのような書類を準備したらよいか」という質問は大変多いです。
その際、私は
「税関審査の際、どう見てくるだろうか」
「これだったら、税関に対して説明がつくな」
「このやり方で、保税の方は問題にならないだろうか」
「このような状態だったら、確実に税関検査になるな」
といったことを、それぞれ上の例だと税関の各セクションがどういう視点ももっているかを考えて、
私が答えたり、それでも対応が微妙なことや問題になりそうなことは実際に然るべきところに聞いてたりしています。
ただ、今いる私の後輩は、それができてるとは言えず、個別で聞かれても私のところに相談をもってくることが多いです。
確かに、もう少し私自身、相談を持ってきた後輩に対して、「自分で考えてみなさい」というべきなのかもしれません。
自分の感覚に依存しすぎてるかもしれませんが、
ある程度、経験を積んできたら、客観的に考えられたりするものだと思っていました。
ただ、後輩たちからそのような気配はありません。
私が説明するときも、考え方を説明しているつもりですが。。。
客観的な見方とは、どういうふうにしたら身につくのでしょうか?
主体性
あと、もう一つ悩ましいことが、あまり主体性を見せてくれていないことです。
如実にあるのは、後輩からの何かしらの提案があまりないことです。
ある程度、仕事の割り振りや担当みたいな仕事というのは、後輩たちももっています。
ただ、その持っている仕事に対して、”こうしたい”や”今後やり方変えていいですか”みたいな話をあまり聞きません。
私も含めて、部署全体として、通関書類上において、ミスや不足がある場合は、正すように指摘することはあります。
もちろん、それは通関の存在理由の一つなので、仕方ないです。
ただ、それ以外については、抑圧的なところはあまりありません。
(少し前まで所謂、時短ハラはありましたが)
私よりも年下ですから、”ラクしたい”という考えはあるはずですし、無駄な労働は避けたいと考えるとは思います。
ただ、それを頭を使って考えようとしていないのです。
改善案を考えて、変えていくことが余計な労力なのでしょうか?
そればっかりは私にもわかりませんし、ちょっと聞いておかないなと思うところです。
モチベーション
これは主体性とも連動しますが、
基本的には言われたことや自分の持っている範囲のことしかやろうとしないところがあります。
これについては、私も思うところはあります。
他の仕事を代わりにやっても、+αのことをやっても目に見えて、(給与や評価)が変わることがない。
これは、日本の労働形態上仕方ないですし、意味のないことを嫌う、若者視点で言えば、なおさらモチベーションはありません。
コーチングの勉強をしていかないと思うところは、こういうモチベーションをどうするかと悩んでいるのもあります。
また、私の会社特有ですが、
国家資格でもある”通関士”の資格を取ろうとするモチベーションを上げられていないことがあります。
現在、通関士が通関の申告を行わなければならないところという大原則から、
非通関士(通関従業者)でも、通関士の審査が行われていれば、申告できる
という状況になっています。
この恩恵は、通関士の私も受けており、審査さえしておけば、非通関士に書類を任せることができるので、負担は確かに楽になりましたし、非通関士の業務的な範囲も多少なりとも広がりました。
ただ、非通関士側からすれば、通関士となっても自分自身で申告できるようになる以外、できることが大して増えません。
そのため、非通関士側からすれば、通関士の資格を新たに取得する業務上の必要性はあまりなくなったのです。
ただ、それを補えるだけのインセンティブは会社には存在しない(通関士手当はありますが、安すぎる)ため、予備校に通って1年間勉強しないといけない、時間・金銭負担は釣り合わないため、資格取得のモチベーションを上げれていません。
最後に
他人事のようにも思えていた、後継者不足問題。
人を育てられる力がないとこういうふうに苦しくなって来るのだなというのを感じることができました。
規模は違えど、中小企業の後継者問題とある意味、”根”の部分は一緒なのかもしれません。
ただ、違うのはまだ私の方には猶予があるということはポジティブかもしれません。
今、自分がやっていることをそれなりに、同じようにできる人、これからできそうな人がいないということが、恐ろしく感じています。
Shiftkeyについて
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