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MZパソコンの商品企画 − 本質の掘り下げ

 私が入社した時に配属された部署は、MZパソコンというパソコンの商品企画部門でした。当時、日本のパソコンの黎明期でシャープのMZシリーズと日本電気のPCシリーズが競い合っていました。もちろん私は新入社員だったので責任のある仕事をしていた訳ではありませんが、その場にいたことで理解出来たこともあります。そういうことを少し話させていただきます。それを言葉にすれば「本質の掘り下げ」とでもいうべき話です。

 実はシャープのMZシリーズといっても、二つの流れがあったのです。その後から出されたX1シリーズも含めたら、3つのシリーズのパソコンが存在したことになります。どう違うかというと、商品を作った部門が違ったのです。

 MZシリーズは、シャープで部品を作っていた部門と電卓を作っていた部門とが作っていました。有名になったのは部品を作っていた部門で作っていたものです。部品関係は大阪、電卓関係は奈良と場所も違っていました。

 それが、社内力学的な話で電卓を作っていた部門に移管され、電卓の部門で開発されるようになったのです。私が入社した時は、移管された直後でした。そして、それがMZシリーズの不幸でした。私は電卓関連の部門だったので、あまり不幸とは書きたくないのですが、それがMZシリーズの失敗の原因だったとは思います。

 何が失敗だったのか、それはパソコンの情報を開示するのを制限したことです。部品関連の部門の常識では、部品を使う人のために結構細かいところまで情報を出していました。私もマニュアル担当だったので覚えていますが、回路図までマニュアルに載せていました。

 パソコンの本質は「空の箱」で、サードパーティと呼ばれるソフト開発会社がいかにアプリを作れるかということがパソコンの機能となります。これは幸運な偶然だと思いますが、部品を扱う部門が作ったことが、そのパソコンの本質にジャストフィットした訳です。

 当時のMZパソコンのコンセプトは「クリーンコンピュータ」でした。本体のメモリーには何も入れず、毎回カセットテープに記憶された基本プログラムを呼び出して動かす、そういう形態のパソコンです。これが、エンドユーザーよりも前に、パソコンを開発するサードパーティやパワーユーザーに受け入れられて、MZは好評を博しました。

 しかし電卓の部門は文化が違います。基本的にアプリは自社で用意して、サードパーティに開発してもらうこともないので情報の開示も無くなります。電卓部門に変わってから、回路図をマニュアルに載せることも無くなりました。そして、サードパーティやパワーユーザーが離れていったのです。

 しかし、今度はテレビ関係の部門がX1シリーズというパソコンを開発、発売することになります。このX1シリーズは、サードパーティを意識して情報を開示し、サードパーティに積極的アプローチすることにより、熱狂的なファンを獲得することに成功しました。しかし、パソコンの時代はもうOSによる支配の時代に移りつつあり、6800という独特の系統のチップを使っていたX1シリーズは、メジャーになることは無かったのです。

 このことは本質というものを考える示唆になります。パソコンの本質は「空の箱」です。最初のMZシリーズは「空の箱」でしたが、電卓部門の時は箱の中に自社のソフトを入れてしまいました。X1シリーズの時代は「空の箱」の箱という意味が「ハードウェア」から、「OS」に移った、そういう話です。

 このように本質は「空の箱」であっても、箱の概念が時代によって変わっているケースもあります。こういうことが本質の掘り下げという話です。本質は同じですが、本質を構成する要素は時代とか状況とかによって変わります。そして、偶然上手くいった人よりも、逆に失敗して悩んだ人の方が、明確に意識しているかどうかは別として、その本質を深く掘り下げているように感じます。

 そのいい例がスティーブ・ジョブズです。彼はマッキントッシュというパソコンでデビューして、黎明期のパソコンの中で独特の位置付けを確保しました。しかし、ビル・ゲイツがOSの発想を当時のコンピュータ業界の巨人、IBMに持ち込むことにより、パソコンの勢力図は決まってしまい、マッキントッシュもマイナーな存在となってしまいました。

 サードパーティーは、マイクロソフトのウィンドウズ用ソフトは作ってもマック用ソフトは作りません。どうしてもジリ貧になってしまいます。一時、アップルはマイクロソフトの支援を受けていたほどです。マイクロソフトはマックが無くなると独占禁止法に抵触するので、そういう選択をしたと言われます。

 多分、この時にジョブズはパソコンの本質を深く理解したのだと思います。いわゆる「空の箱」という話です。「空の箱」が重要ではなく、「空の箱」に入れるものをどう用意するかが、成功の鍵となります。

 彼はその後、音楽用の「空の箱」、スマホという「空の箱」を創りあげ、米国の予算を上回る市場価値のある大企業を育てあげます。そして、パソコンの時の失敗を踏まえ、音楽やアプリを配信する仕組みを自ら作り、サードパーティーがアプリを創りやすい環境を整備します。開発環境を安く提供し、ソフトの開発が複雑にならないように、画面解像度などをジョブズ存命時は頑なに同じにしていました。

 これは彼がパソコンの逆境の中で「空の箱」の本質を掘り下げられたからこそ、出来た話ではないかと思います。北欧の「北風がヴァイキングを創った」という言葉があるそうですが、まさにそういうことではないかと思います。

ビジネスの基本(13):本質は徹底的に掘り下げる

 私はウェブの仕事がしたくて海外のウェブ担当になりましたが、恥ずかしい話、ウエブというビジネスの本質を当時は見誤っていました。当時はITバブルという言葉もあり、起業して幻想を抱かせ、高値で売り抜ける、そんなイメージを持っていたのです。

 しかし後で気付いたのですが、ウエブビジネスというものの本質は「土地開発事業」だったのです。インターネット上に人の集まる土地を開発する訳です。ですから、とにかく多額の資金を集め、人が集まる土地を開発できたら、いかようにもビジネスができます。広告宣伝もそうだし、モール的に出店を集めても良いし。土地のバブルと、ITのバブルは実は同じ意味を持ちます。とにかくお金を集めてネット上に人の集まる場所を作り、そこで商売をする、それがウェブビジネスの本質なのです。

 グーグル(ユーチューブ含む)やフェイスブックはそこから広告収入に、アップルはコンテンツ販売やコンテンツに連動した端末の販売に、アマゾンや楽天などはネットショップにと、マネタイズの方法は違っていますが、人が集まる場所を開発するというディベロッパー的要素は全く同じです。そして、より深く本質を掘り下げた方が成功しているのです。

 商品やサービスの本質の見方を変えて成功した例もあります。代表例がスターバックスです。カフェというものは、コーヒーを含めた飲み物を提供するという認識があります。しかし、スターバックスのビジネスコンセプトは「サードプレイス」なのです。サードプレイスというのは何か、家が自分の第一の居場所、職場が第二の居場所だとすると、そのどちらでもない快適な居場所、それがスターバックスのビジネスの本質なのです。

 つまりビジネスの本質を「コーヒーを提供する場所」から、「家、職場に続く第三の居場所」に変更したのです。正直、スターバックスのコーヒーがズバ抜けて美味しいとは思いませんが、スターバックスの空間はとても快適に感じます。

 日本の喫茶店文化も似たような背景があります。高度成長期、多くの人が都会に出てきて、狭いアパートやマンションに住むようになりました。田舎であれば客間とか縁側という場所が存在して客と応対できていたのに、都会では客と応対できる場所が家から無くなってしまったのです。

 だから喫茶店という場所は、お客、知人や友人と話をする場所として発達しました。最近、コメダ珈琲などが全国に広がっていますが、発祥の地は喫茶店文化の残る名古屋ですし、カフェブームの中で、知人や友人と気さくに話す場所として評価が高いように思います。日本版のスターバックスみたいなものかも知れません。

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