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「人の名前が覚えられない」苦手を因数分解してみる

苦手なことって何ですか?

「数字」「細かい作業」「高いところ」とまあ、いろいろありますが、

その漠然とした苦手の、具体的に何が苦手なのか、細かく分解してみるとより自分のことを知ることができるのでは、と、たった今思いました。

タイトルで知った風に”因数分解”なんて言っているわたしこそが『数字全般』が苦手です。電卓を使ってもエクセルを使っても合計が合わないという、商売人としては致命的欠陥を持ち合わせている。それはまた別の機会で。


わたしにもいくつか苦手がある中で、困ることの上位なのが「人の名前を覚えられない」。これまた社会人としては致命的である。
”杉山さんと杉浦さん”、”村松さんと松村さん”とか、日本にはトラップが仕掛けられまくっている。(萩原さんと荻原さんの区別はなぜかつく)

なので、わたしに一番向かない職業は営業マンであると自覚している。
コミュニケーション能力とか度胸とか、他にも営業向きでない理由はあるけど、やっぱり名前覚えられないって最大の問題だよな。自分だって苗字間違えられると、うーん、って感じになるしな。


そう、名前を間違えるって、かなり失礼。だからビビリのわたしは、人の名前に対して、とても慎重になるのだ。


一定以上の交流などあって、自分の中に相手の存在濃度が高まれば息をするように名前を呼べるようになるのだけど、そこまで到達していないときのわたしの名前の思い出し方は、こうだ。

1)その人の顔を思い浮かべる
2)その人の名刺や、メールの署名の活字を思い浮かべる
3)それを読む

改めて言語化してみて、なんて複雑なプロセスを踏んで相手の名前を呼び起こしているのだわたしは、と感心した。

顔イコール名前、ではなく、一旦活字にする(活字のシーンを思い浮かべる)あたり。こういうのを『視覚優位』というのだろうか?いや、視覚優位なら顔に名前が結び付いていそうだけど…『言語優位』になるのか?

一旦活字にする(2)のフェーズで、「村松」か「松村」は判断が難しい。このように字面が近い場合は「この順番であってる?」と、”文字校正”というプロセスが頭の中で加わるため、さらに時間がかかるみたいだ。

その他にも、とても親しいけど普段はニックネームだったり、女性の場合旧姓で呼んでたりすると、いざという時に正しい本名が出てこない。名前周辺のトラップはたくさんあるなあ〜。


このやり方が癖になっているのでそれが当たり前なんだけど、世の人はどうやって他人の名前を記憶しているのだろうか。

なお、私の場合は(2)のプロセスを噛ませられないと本当に入ってこないので、名刺交換やメールのやり取りがない人のことは、ほぼ覚えられない。

ちょっと今日会う人に、名前の覚え方を聞いてみようと思う。

もしもサポートいただけましたら、私もまた他のどなたかをサポートしてサポートの数珠つなぎをしていく所存です!!