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美術館に行ったよという話(2021)

 先日、友人たちと美術館へ行った。ロンドンナショナルギャラリー展。あいにくの雨だったけど、柄にもなく前日から遠足前の小学生のようにわくわくしていた。最近あまりちゃんとした「お出かけ」をしていないからか、そういうことが多い。
 美術館は人が多かった。その空間にとってはいつも通りなのかも知れないが、経験が少ない私はいつもを知らないので、まあ薄っぺらく「多かった」という感想でいいや、と思った。友人が前売りの入場券を発行してくれていたので、時間になるまで並んで待った。
 並んでいる間に傘の群れを見て、昔と違うことに気付いた。ここでいう「昔」とは、世間的な「昔」ではなく私個人の、超主観的な「昔」である。具体的には、もう10年以上前の、小学生だったとき。あの頃見ていた傘の群れは、色とりどりの毒キノコの群れのようだった。(その頃の私は即興で歌を作るのが好きで、雨の日は傘がキノコみたいでかわいいよねという安直な歌も作っていた。)かくいう私も、当時はピンク色の無地の傘を使っていた。よく傘の骨を折っては怒られて、そのたびに違うカラフルな傘を買ってもらっていた。雨の日の登下校は、絵の具パレットのように鮮やかだった。
 けれど列に並ぶ傘たちは、どこか統一されたような暗色が多かったように思う。街中だからか、年齢層が高いからかはわからないけど。落ち着いた雰囲気、といえばそうかもしれないが、灰色の空に紺や黒の傘たちは決して映えてはいなかった。芸術に触れるとなると、感性も一丁前に芸術的になるんだろうか。濡れた袖を気にしていると、列が進んだ。入場だ。

 美術館へ行ったことは数えるほどしかない。というより、記憶に残っているものが一度しかない。鑑賞というものを好きになってからは、多分一度もなかった。
 傘をしまって、入り口をくぐる。ああいう「場」特有の匂いが周りを囲んで、ああ入ってしまったんだなと思った。なんとなく、私にとって美術館というのは敷居が高い。なんというか、「その道のプロ」というか、「ちゃんと好きな人」たちが入るべき場所だと思ってしまう。私は「ちゃんと好きな人」ではないので、若干の後ろめたさが着いて回る。

 友人たちと「出口で合流できればいいよね」と話し、各自バラバラに動いた。私が彼女たちと一緒にいたのは展示室(なんというべきかわからない)の最初の数メートル程度で、あとはもう好きに歩かせてもらった。絵画と人の海の中で、私はふらふらと歩き回った。
 西洋画は怖い。それが最初の印象だった。私は絵を描くのが好きだが、物心ついてからもっぱら参考に見る資料は和柄や着物の資料本、浮世絵の巨匠たちの画集ばかりだ。日本画の特徴って、極端なまでの平面さじゃないだろうか。立体的な絵というのはほとんどない(そうじゃなけりゃ、高橋由一の「鮭」は多分、そこまで評価されなかったろとか思う)。
 とにかくまあ、私の目は日本画のそれに慣れていたから、生で見る西洋画は怖かった。いやらしいくらいの奥行き、織り目すらはっきりと分かりそうな布の質感、冷たさを感じさせる金属の描き方。その衝撃は、私の少ない語彙から表すならば「恐怖」だった。リアルってこえー。そんな感じ。
 しかし西洋画は怖かったが、同時に素晴らしかった。当たり前に美しかった。昔憧れた童話の世界を、より現実的にに感じたいならば西洋画を見るべきだとも感じた。ふわふわと広がったドレスや、煌びやかな宝飾品は日本画にはないものだ。私の知識が浅いだけだが。

 1周目を終えて、私は自分が大分もったいない鑑賞の仕方をしているなあと気付いた。何に興味があるのか、どういう画風が好きなのか、そういったものだけに注目して、さくさくと見てまわっていた。いつのまにか出口にいたので、折角だしと思って2周目に向かった。しかしやっぱり見方は変わらなかった。1周目で気に入った絵で足を止め、あまり興味のないジャンルは目が滑った。3周目もするかと思ったけど諦めた。
 そういうもったいない見方をしている中で、私を最も強く惹き留めた絵があった。アンリ・ファンタン=ラトゥールの「ばらの籠」という作品だった。言葉通りの一目惚れだ。私は実のところ、静物画にあまり興味はなかったのだが、あまりにも私好みで思わず足を止めた。心臓を撃ち抜かれた。ああ、これだ、と思った。1周目は人が多くてあまり近くで見れなかったが、2周目は絵のど真ん前を陣取ってしまった(ごめんなさい)。いやもう、何がいいとかじゃなくて全部良い。脆そうな花びらが、少し乾いた葉が、どんな生花より完璧だと思った。絵に対して「綺麗だなあ」とか「好きだなあ」とか思うことはあるけど、「手に入れたい」と強く思ったのは初めてじゃないだろうか。

 まあそういう風に変に高揚しながら、2周目を終えて出口へ向かった。お土産コーナー?何?グッズが買えるブースがあって、ポストカードやブックマーカー、マスキングテープやクッキーなど定番の土産物があった。そこで私はキャンバスプリントの複製原画(?)を見つけた。何種類かあったんだけど、なんとまあ、「ばらの籠」があるじゃないか。運命。手に入れられるんだ!と感激した。友人に「ねえこれ買ってもいいと思う!?」と何度も確認しながら(すまんかった)、私はもう箱に手を伸ばしていた。
 ああ、私の手元に「ばらの籠」があるなんて!欲しいと思ったものを衝動のままに手に入れるのはなんという快感なんだろう。持ち歩きたかったので、「ばらの籠」デザインの鏡も買った。拡大鏡も付いている、利便性もばっちりの逸品である。会計スタッフさんは多分、「こいつめっちゃ『ばらの籠』好きやん」と思ったに違いない。

 10年以上ぶりの美術館、楽しかった。自分の嗜好、癖、そういうのを改めて認識できたと思う。誘われなかったら行かなかっただろうな。誘ってくれてありがとう。この場を借りてお礼申し上げます。またこれからも展示見に行きたいな。



 という文章を、今更投稿してみる。ずっと下書きのままだったけど、なんというかもう、行ってしまえー!という勢いで投稿する。ちなみに、私がこの展示に行ったのは2021年1月23日のことらしい。先日、から始まる文章の内容が1年前ってどういうことやねん。


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