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6-1 猫とモルモット問題

 母の癌の痛みは相当なものだったようだ。入院中はかなり苦しんでおり、見ているだけで痛々しかった。病状からして緩和ケア病棟に転院しましょうとなった矢先に脳梗塞を起こし、結局そのまま逝ってしまった。しかし、脳梗塞のおかげというと変な言い方だが、脳に異常ができたことで痛みは感じにくくなっていたようで、看取った父の話では、最期は比較的苦しむことなく息を引き取ったそうだ。

 脳梗塞を起こした後は痛みを感じにくくなったものの、動けなくなってしまったので、痰の吸引が必要になった。しかし、それを母はかなり嫌がっていた。癌の痛み、痰の吸引の苦痛さを間近で見ていたため、姉も私も、「もう苦しまなくていいんだね。頑張ったね、お母さん」とその体をさすった。大切な人の死を前にした時、そうして、その死を肯定しなくては、なかなか正気を保てないものだ。

 そうだ。もう、苦しまなくていいのだ。意識も朦朧としたまま、苦しみながら延命させて、孫を抱かせてやることもない。赤ちゃんは間に合わなかったけれど、これで良かったんだ。私はそう自分に言い聞かせた。


 その時には気づかないふりをしていたが(冷静に考えてもいられなかったが)、私はお腹の赤ちゃんへの気持ちの向け方に困っていた。いつかは子供が欲しいと思っていた。でも、母に見せられないのなら、このタイミングでなくても良かったのではないか。私は今後、どうやってこの子を愛していけばいいのだろうか…私は心のどこかで、そう思っていた。私は、母のために子供を産む気になっていたのだ。

 そんな私の気持ちを感じたからだろうか、それとも、私を慰めようとしてくれていたからだろうか。母の死後、気が付くとお腹は痛いほどに張り、それは葬儀が終わって一息つくまで続いた。お腹の張りだけでなく、始終胎動があり、ずっと赤ちゃんは私のお腹を蹴り続けてくれた。

 念のため、病院で張り止めの薬をもらい、それを飲んでいたが、気休めでしかなかった。私は葬儀場の親族控室で横になっていた。ぼんやりと、何も考えることができなかった。ただ、何となくお腹の赤ちゃんが「おかあさん!私はここにいるよ!」と叫んでいるような気がした。


 葬儀が終わり、私はそのままぼんやりと悲しみに浸りたかったが、そうも言ってはいられなかった。お腹の赤ちゃんの成長は待ってくれない。ぼんやりしていても、生まれてくる命は生まれてくる。取り急ぎ、産院をどうするか考えなければならなかった。

 正直なところを言うと、母がいないのであれば、私は自宅アパートに戻りたかった。実家が嫌いなわけではないが、実家には既に女手がない、というか、女手を失くした直後で、色々と大変なことは容易に想像できた。そのため、里帰り出産するのであれば、旦那も一緒に実家に来てもらってフォローしてもらわないととてもやっていけない。里帰り出産に夫がついてくるなんて聞いたことがないが、事態は異例なのである。「前例がないことはお断り」などとお役所みたいなことは言っていられない。しかし、旦那が来るということは、旦那の通勤時間が2時間になり、彼の負担はかなり大きいものとなる。


 さらに、最大の懸念事項は、だった。実家には猫が二匹いた。これを執筆している今もいる。旦那は猫好きなものの、軽い猫アレルギーで、一緒に住むとなるとかなり掃除をしなければならない。だがしかし、実家はあまり掃除しない家。相当掃除しなきゃならん。

 さらにさらに厄介なことに、私たちはモルモットを飼っていた。旦那が来るということは、それも連れてこねばならぬ。猫に見られたら、一発アウトだ。狩られかねない。いや、猫は言い聞かせればケージ内に手を出すことはないだろうが、猫に見つめられたら、びびりのモルモットのほうのストレスが心配だった。

 いろいろと面倒で、自宅アパートのほうが楽だろうと思ったのだが、産院不足のこの時世である。今更産院の予約を取り直そうとしたって、断られることは目に見えている。それでも、もしかしたら事情を話せば良かったかもしれないが、問い合わせようか、それも面倒だなぁと思っていたところに、父から「こっちで産まないか」と言われたもので、姉も近くにいることだし、予定通り里帰り出産で産もうと腹を括った。

 そんなわけで、私は葬儀が終わった後も、そのまま実家に居座り続けた。旦那が必要なものは全て(モルモット含めて)持ってきてくれた。


 旦那が荷物を持ってきてくれるのを待ちながら、私は実家で一人ぼんやりしていた。そして、お腹の赤ちゃんに言った。「ばぁばに会いたかったねぇ。会わせてあげられなくて、ごめんね」と。母は子供が大好きだった。大抵の子供も、母に懐いた。だから、きっと、お腹の赤ちゃんも、母に会いたくて来たんだろうなぁと思っていた。

 私はお腹の赤ちゃんに聞いた。「ばぁばのこと、好き?」と。胎動キックの返事はなかった。おや?と思った私は、別のことを聞いた。「ばぁばのこと、嫌い?」

驚いたことに、キックの返事があった。

 私は非常に焦った。このお腹の赤ちゃんが、私の母を嫌いだなんて、そんなことあり得ない。あっていいはずがない。

 私はもう一度聞き直した。「ばぁばのこと、好き?」―やはり返事はない。

 「ばぁばのこと、嫌い?」―返事が、あった。

 私は背中に冷や汗のようなものをかいた。でも、次の瞬間、「たまたま、胎動のタイミングがそうだっただけ。たまたまよ。たまたま」と思い直し、全てをなかったことにした。

 今思えば、お腹の赤ちゃん、つまり、娘がばぁばのことを嫌いだったわけではない。そうではなく、「私が生まれてくるのは、ばぁばに会いたかったわけじゃなくて、あなたに会いたかったからだよ」と言ってくれていたのだ。

しかし、こうしたことに気づくのに、私はその後、6年かかるのだった。

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