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「それでも生きなくちゃ」(12)

あれから、何事もなく、平凡な日々が続いていた。

久しぶりに、アタシの工程に君が姿をみせた。

(今日はなんにも、ミスしてないよね?)
と、アタシは頭のなかで考えながら、
君が、すぐ近くに来るのを待っていた。

毎日、毎日、「俺、今暇なんだよ」なんて言う君の仕事内容も、役職もなんにもアタシは知らなかった。

アタシと目があった瞬間、君はニヤニヤしながら、
「で?お土産はないの?」
なんていうから、アタシはなんのことだろ?と頭を捻って考えていた。
「Aとの温泉旅行のお土産だよ」
君の言葉にアタシは、もう、一週間以上過ぎている、この前の話をまだ、引っ張るのかと、呆れた顔をして見せた。
「だ、か、ら、Aさんとは温泉にも、勿論行ってないし、そもそも、プライベートな連絡先すら、知らないよ!」
「そうなの?仲良いぢゃん?Aとさ」
「歳が近いから、まぁ、よく話はするけど、だからって、アタシなんかと付き合いたいオトコなんているわけないぢゃん?」
君は、アタシの言葉に、不思議そうな顔をした。
「なんで、そう思うの?」
真っ直ぐに、アタシを見つめる君の眼鏡越しの、瞳の中にアタシがいた。

君の知らない、いや、誰も知らないアタシの、忘れ去ってしまいたい、醜い過去。

そんな真っ直ぐにアタシを見つめないで……

そんな目で、見つめられたら……

また、君の優しさに、甘えて、馬鹿な期待をしてしまいそうになる自分が怖かった。

吐き出してしまえば、楽になれるのかもしれない。
だけど、まだ、言えない、言ってはいけない、自分の中で決めた、タイムリミットまでは……
君の視線から、アタシは目を逸らした。
「アタシの顔が、オトコ受けする顔ぢゃないことくらい、この歳になればわかるんだよ」
君に背を向けて、アタシは、仕事の進み具合をモニターで確認した。
「人の好みは、それぞれだと俺は思うけどね」
君がどういうつもりで、そんな言葉をアタシにかけたのか、その時は、わからなかった。
いや、違う。

わからない振りをするのが、精一杯だった。

だけど、本当は、心の何処かで、期待していたのかもしれない。
アタシを全てを、何もかもを知っても、君なら、受け止めてくれるのかもしれない……なんて。

君だけが、毎月変わるアタシのネイルに、1番に気付く事や、その日の気分によって変わる微かな香水の匂いに、「いい匂いだね」なんて、笑って言ってくれる事の意味を、知りたいとアタシはずっと前から、君と、あの日、セックスする前から、知りたかったんだ。

君に、初めて、抱きしめられたあの日よりも、ずっと前から、アタシの一方通行の恋が始まっていた事に気付きたくなかった。

踏み出せなかった。
踏み出すのが、怖かった。

左腕に無数にある、傷跡、醜く、汚れてしまったアタシを、その無数にある傷跡の理由を、まだ、アタシは、誰にも言えないままでいる。

そんな過去を隠して、君の好意に期待なんてしちゃいけない。

アタシは、誰にも愛される資格なんかない、オンナなんだ。

わかっているのに、どうして、アタシは君を拒めなかったんだろう……








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