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短編小説「デリ」

 外回りから戻ってきた主任が「カルミナブラーナ」を口ずさみながらゆっくりと廊下を歩いているところに遭遇した。アラフォー独身社畜の主任がいまどんな心境なのかまったく想像できなかったが、私が「おつかれさまです」と小声で挨拶をすると、相手は満面の笑みで「これ、お土産の焼きいも」と手に提げていた白いビニール袋を見せてきた。
「さっき行った営業先の近くに去年の秋から焼きいも専門店ができててさ。いつもまぁまぁ人が並んでるから気になってたんだけど、今日は空いてたから買ってみたよ。本格壺焼きなんだって。これが紅はるかでこっちがシルクスイートでこれが鳴門金時。石焼きいもとどう違うのかわかんないけど、さつまいもをアルミホイルで包んでたき火に放り込んで焼いたやつよりは美味しいと思う」
 額に浮かんだ汗をハンカチで拭いながらまくし立てる主任は無地の紙に包まれた焼きいもを袋から取り出し私にひとつ渡してくれた。包み紙にはそれぞれいもの銘柄が記されたシールが貼ってある。
 五月とはいえ日中の最高気温は三十度近くに達しており、室内のエアコンは冷房の設定になっている。それでも暦の上ではまだ春だからと焼きいも専門店で焼きいもが売られており、冷房が効いた部屋で私たちは温かな焼きいもを食べるのだからちぐはぐな感じだ。
 主任の手には焼きいもの袋と一緒に半分氷が溶けたコンビニのアイスコーヒーがある。
 ほんのり温かく甘い匂いを漂わせながら重みがある鳴門金時のシールが貼られた焼きいもを私は受け取った。
 総務担当で見た目は二十代半ばだけど社歴十年というミナさんにはシルクスイートが配られ、主任は紅はるかを選んだ。
「うわぁ、これって一本五百円とか七百円とかするやつですよね! インスタで見たことあります! いただきます!」
 ミナさんが声を弾ませながら包み紙を破いてすぐにいもの皮をむき始める。
 焼きいもは所詮焼きいもだからどんな写真の撮り方をしても映えないような気がするが、焼きいもが一本七百円もするならスマホでたくさん写真を撮ってSNSにアップしないと食べるに食べられないのだろう。私はいただきものの焼きいもの写真を撮ったりはせず冷めないうちに食べてしまうことにする。こういうときは値段を聞いても遠慮はしないのが信条だ。「いただきます」と主任にお礼を言ってから初めて食べる焼きいも専門店の焼きいもにかぶりついた。確かにたき火で焼いた焼きいもやオーブンで焼いた焼きいもとはかなり味が違う。蒸しいもとも違う。さつまいもであることに違いはないはずなのに、甘くて美味しい。ただ、焼きいもに七百円という値段はどうかと思う。そういえば前に北海道で食べたじゃがバタコーンは一皿五百円くらいだったが食べ応えがあって美味しかった。コーンの甘味とバターの塩味のバランスが絶妙だった。また北海道に行ったらじゃがバタコーンを食べたい。前に函館の朝市で食べ損ねたホタテのバター焼きも食べたい。私の性格上、一度食べ損ねるとそれは自分の中で達成できていないタスクとして残ってしまい、どこかの居酒屋でホタテのバター焼きを食べるという代案ではなく、函館の朝市でホタテのバター焼きを食べなければミッションはクリアにならないのだ。
「タニちゃん、焼きいもあんまり好きじゃないの?」
 自分の焼きいもを食べ終えたミナさんがマグカップに淹れたドリップコーヒーを飲みながら尋ねてきた。さすがに焼きいも一本丸ごと食べると喉に詰まるらしい。
「いえ、おいしいとおもいます」
「そう? なんか、焼きいもを親の敵みたいに睨んでるように見えたから、なにか焼きいもにトラウマか食物アレルギーでもあるのかと思った」
「ふつうにたべられます」
 さつまいもではなくジャガイモのことを考えていただけだとはさすがに言うわけにはいかず、私は黙々と焼きいもを食べた。ねっとりとした食感とさつまいもの甘味は終業前の空腹を満たしてくれる。おやつにしてはなかなか食べ応えがあった。
 主任はスマホで自分の分の焼きいもの写真を撮ってから食べ始めたが、途中で「よし。全種類制覇するぞ」と言い始めた。
 私は、いもはいもでもさつまいもよりもジャガイモが好きだが、どうせいもを食べるならキャッサバを食べてみたい。タピオカの原材料であるキャッサバはサトイモのような食感らしいが、世間でタピオカが流行っていた頃はタピオカミルクティーを飲んでいる人を見るたびに私はキャッサバとして食べてみたいと繰り返し思った。これも未達成のミッションのひとつだ。
「タニちゃん、なにを考えているの?」
「いものことです」
 東南アジアでキャッサバをバナナの皮で包んで蒸し焼きにしているのをテレビで見たことがありどうせならそれをしたいのだが、日本国内でキャッサバとセットでバナナの皮を手に入れるのはなかなか難しいと思われる。東南アジアに行った方がキャッサバ料理を手軽に食べられるに違いない。まとまった休みが取れたら、まずは東南アジアにキャッサバを食べに行こう。
「タニちゃんって普段なに食べてるの? いまも相変わらずホテル暮らしなんでしょ?」
 ミナさんはマグカップのコーヒーを飲み干してから私に尋ねてきた。
「はい」
 私が勤めているこの会社は絵画を中心とした美術品の売買をしており、全国各地の画廊やイベント会場で展示即売会をおこなっている。私はその展示即売会が開催される現地に赴き、配送業者が運んできた展示品の確認と主催者への引き渡し、会場設営準備と会期中の運営の補助、会期終了後に売れ残った展示品を会社または次の会場に送るための荷造りと配送業者への荷渡しまでを担当する。現地に会社から派遣されるのは基本的に私ひとりだ。私が現地に派遣される前に営業担当者が主催者側との段取りをすべてつけてあるため、私は現地で会社から指示された範囲で仕事をする。展示即売会での売り上げは私の報酬には影響しないので、客の入りが良かろうが悪かろうが気にする必要はない。スーツケースひとつ持ってホテルやウィークリーマンションを転々とする生活もこの仕事を始めて半年で慣れた。
 会社には一年に一回顔を出すことがあるかないかというくらいで、今日は数えてみたら四〇八日ぶりの出社だった。スマートフォンとモバイルパソコンがあればどこにいてもほとんどの業務ができるが、稀に今日のように出社命令が出る。
 本当は今日は新入社員の紹介と研修についての説明を受ける予定だったが、私が育成を担当するはずだった新入社員は今朝になって退職の意志を伝えてきたそうだ。なんでも入社前は旅行感覚で全国各地の会場をキュレーターとして巡る仕事だと聞いていたのに事前説明と実態が違うから辞める、とメールで連絡があったらしい。社員と言っても私はフリーランス契約だ。業務がなければ報酬もない。ただ、ありがたいことに私は会社からほぼ休みなく仕事を回して貰えている。私と同じ業務を担当する社員がすぐ会社を辞めてしまい慢性的な人手不足が続いているためだ。収入は良いが休みはほぼなく、決まった場所に定住できない。私もいずれ住み処を見つけたらこの仕事を辞めるだろうと思いながら、すでに三年が経過している。
 ミナさんは「人事がさぁ。会社説明会でタニちゃんのこと全国を飛び回ってる優秀なキュレーターって就職希望者に紹介したらしいのよ。ところが昨日うちに配属されてきた新人に主任が仕事の詳細を説明して、来週からタニちゃんと一緒に島根で三週間実地研修って言った途端にフリーズしちゃってね。多分、イメージしてた仕事と現実が違っていたんでしょうね。タニちゃんの仕事ってキュレーターって言うよりはコーディネーターみたいなもんだし、雑用多いし体力勝負だし、全国って言ったって主にうちは関東から西で商売してるじゃない。北海道とか東北での開催はないし、地方でも観光地より外れた場所で開催することが多いし、車の免許がないと移動が大変だったりするし、ちょっと続けるのはハードルが高いって思ったのかもね」といつも電話で会話をするときと同じ調子で一部始終を喋ってくれた。
 そんなわけで、私はわざわざ会社に顔を出したというのに、特に仕事はなく「タニちゃん、次から名刺にはキュレーターって書いてもらいなよ。あ、この味って店頭のみの数量限定販売でなかなか買えないってツイ見たよ」と私の手土産に喜ぶミナさんの話し相手をしているところへ主任が帰社した次第だ。
「タニちゃんはコンビニ食が多い? それとも外食?」
 私には家族がなく、仕事がノマド状態なのでアパートなどは借りておらず、いまのところ住所不定だ。昨日からは会社近くのビジネスホテルに宿泊している。
「ひるはコンビニでよるはがいしょくです」
 ホテル暮らしで一番楽な点は毎日部屋の掃除をしてくれるサービスがあることだが、コンビニ食と外食ばかりで自炊をしないことに一切の罪悪感を抱かないことも利点だ。もっとも、キッチンがあるウィークリーマンションに滞在していても私が作るのはカップ麺くらいだ。
「外食って飽きない?」
 最近の主食はプロテインだと先日のオンライン会議で話していた主任が話に加わってきた。主任のスーツ姿を見る限りプロテイン効果が発揮されるまでにはもうしばらく日数を要しそうだ。
「ショッピングモールのフードコートでたべるんで、あきることはほとんどありません」
「フードコート?」
 私の答えが意外だったのか、主任とミナさんは首を傾げた。
「スーパーのイートインコーナーでたべたりもしますけど、フードコートをりようすることがちかごろはおおいです。フードコートにはいってるながさきちゃんぽんがいまはいちばんすきです。いろんなひとがいますからひとりでもおちついてたべられます」
 派遣先の現場では移動用にレンタカーを借りることもあり、全国津々浦々の郊外にあるショッピングモールに行きやすい。ショッピングモールの中にはほぼ必ずフードコートやイートインコーナーがあり、いくつもの飲食店が入っている。個別に出店しているレストランもあるが、私はフードコートの雑然とした雰囲気が好きだ。両親と子供二人の家族四人がそれぞれ別の店で購入した食べ物をひとつのテーブルで食べていたり、ベビーカーで眠る赤ん坊の様子を窺いながら素早くハンバーガーにかぶりついている母親がいたり、老夫婦が二人で黙々とうどんとラーメンを食べていたりする。そのスペースの片隅に自分も加わってなにかを食べていると、不思議と気持ちが落ち着くのだ。レストランのようにスタッフが注文を取りに来るわけではなく、自分で食べ物を注文しに行き、できあがるのを待って取りに行き、食べ終わったら自分のペースで食器を片付けてテーブルを拭いて帰る。レストランほどかしこまった空気はなく、家庭の延長ではないが自由に飲み食いできる。フードコートで周囲の話し声に耳を傾けていると、誰かと食事をしている気分も味わえる。そばにいる人と話をする必要はないが、同じ空間で別々の物を食べながらいまこの時間を共有している感じは、自分がこの場所にいることを許されているような受け入れられているような気分になる。常に周囲から浮きがちな私でも馴染めていると錯覚させてくれる場所がフードコートだ。
 多分そんな私の思いは言葉にしても上手く主任やミナさんには伝わらないだろう。私は人とのコミュニケーション能力に長けているとは言い難く、語彙が少なく説明力も低い。いまの仕事をなんとかこなせているのは営業担当者が現地の主催者としっかり事前打ち合わせをしてくれているからで、私が現場に到着してから主催者と細かいやりとりをすることはほとんどない。私は決められた範囲の仕事をするだけで、主催者側と私で判断できないトラブルが発生したときは会社の営業担当者に連絡することになっている。営業担当者は主催者側に私のことを「派遣するキュレーターは仕事ができるけれど口数は少ない担当者なんで、僕みたいに会話が弾まなくてもまったく気にしないでください」と事前に説明しているらしい。おかげで私は主催者側のスタッフと業務以外の話をほとんどせずに済んでいる。初対面の人との世間話は私がもっとも苦手とすることのひとつだ。
「タニちゃんってあまり喋らないのに人が喋ってるの聞くのは好きだよね。前に新人の歓迎会したときも、居酒屋のテーブルの隅っこに座って黙って焼き鳥食べてるから楽しくないのかなって思ったらなんか人の話を熱心に聞いてるし、食事に誘うと二つ返事でついてくるし」
 主任の鋭い指摘に内心焦りつつも私は黙って焼きいもを咀嚼した。
「あーっ、タニアさん! 対面は久しぶり! それとわざわざ会社に顔を出してもらったのにごめん! 新人が今朝になって辞めたって話、聞いてくれた?」
 小さなスーツケースを引っ張りながら営業担当のフクさんが弱り顔でフロアに入ってきた。彼が企画した展示即売会のほとんどを私が担当しているので、電話やオンラインではほぼ毎日のように連絡を取り合っている。
「今回の新人、タニアさんの写真見せたら『こんな金髪美人さんと一緒に毎日仕事できるんですか? 英語喋れないけど大丈夫ですか?』って喜んでたのに、主任のケバさに――あ、取引先から電話がっ! じゃあっ!」
 フクさんは主任の目がつり上がった瞬間にスマホを持って廊下に飛び出して行った。
「そうだ。タニちゃんが帰ってきたんだからいまから女三人で焼き肉でも食べに行く?」
 主任の提案に、私は即座に頷いた。
「焼き肉良いですね! 行きましょ!」
 ミナさんが元気よく賛同する。
「タニちゃん、ひとり焼き肉したことある?」
「ないです」
「あたしもないです!」
 私とミナさんは口々に答えながらバッグを持って椅子から立ち上がった。


あとがき
 本作は第5回阿波しらさぎ文学賞に投稿して選外となったものです。
 原稿用紙15枚という規定に合わせるため、必要最低限しか改行しておらず、文字を詰め込んだ状態となっていますが、投稿時の原稿のまま掲載しています。
 徳島ゆかりの要素を含んだものとなっていますが、鳴門金時という単語のみです。
 文芸っぽいものを書こうとするとなんだかふんわりした作品になってしまうのは、仕様です(開き直り)。

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