夫の家事お手伝いに苛立つ妻という問題から見る、2022年日本での家事遂行に必要なリソースの分析とその解決事例

2022年の家事は主に管理であり、実際に手を動かして物理的なタスクを消化できる状況は家事の最終局面である。

家事の内容はテクノロジーや社会インフラの進歩と共に変容している。変容の方向性は、省力化と多様化。私は家での生活のために山へ柴刈りに行くことはないし、川へ洗濯に行くこともない。ボタン1つで食材を加熱できる便利道具が台所に何種類もあり、衣類と洗剤を放り込むだけで洗ってくれる洗濯機がある。ただし、童話ではおじいさんとおばあさんの2人で分担していた家事を私は1人でこなしている。

このことは、工業化によって家事の省力化の進み始めた時代には既に議論されてらしい。

「家事労働のなかの「見えない」家事 : 新たな視点からの家事の実証研究」藤田朋子 著
https://irdb.nii.ac.jp/01059/0004060282

この論文のP12
「平塚らいてうは、家事労働が産業革命により軽減されたことを肯定する一方で、「ある点においては昔よりいっそう仕事の種類が精神的なものになり、あるいはデリケートなものになっただけでそれだけむしろ骨の折れることが少なくありません。」(平塚 1983:28)」平塚らいてう(1983)「現代家庭婦人の悩み」平塚らいてう著作集編集委員会編『平塚らいてう著作集 第 3 巻』、27-34、初出 1919 年 1 月号『婦人公論』

100年以上前の話だが、情報技術によってさらなる変容を遂げつつある2022年の日本の家事事情にも通じる。例えば「あすけん」など栄養管理アプリを使った場合、栄養学の専門知識や手計算なしに栄養管理をできる一方で、具材の計量、数値入力、バーコード読み取り、外食メニュー検索などをしてPFCバランスを調整する「仕事の種類が精神的なものになり、あるいはデリケートなものになった」つまり、家事は省力化されながら頭脳労働的側面をより強くし、その種類を増やしている。ももたろうのおじいさんとおばあさんからすれば、1人で燃料管理、炊事、栄養管理計算、洗濯などをしているというのは超人的な働きに見えるのではないだろうか。

2022年の日本の家事に最も必要とされるリソースは、体力や腕力ではなく、知識に基づく判断と管理。

例えば、ゴミ捨て。まず、ゴミ箱を用意せねばならない。どこに置く?何個置く?分別は?破損、汚損時にはどうする?ゴミ出しのための袋をどこで入手する?袋をどこに保管する?袋が不足した時にはどう補充する?自治体のゴミ回収日程は?回収場所は?などなど。ゴミを出せなくなれば生活の危機なので冗長性の管理は必須である。それらを経て、最後に、例えば「自治体指定のゴミ袋に入れたゴミを回収場所に持っていく」というゴミ出しの最終工程を実行できる。その1工程しかお手伝いしていないにも関わらず「ゴミ出し(家事)やってます!」なんて主張されたら、主たる家事の担当者が苛立ちを覚えても仕方ないと思う。

家事の細かさについては「見えない家事」という枠組みで活発に議論されているためそちらにお任せして、私はこれ以上を例示しない。

苛立ちの理由はこれだけではない。誰かにお手伝いしてもらうには「指示」「監督」「教育」などの業務を必要とするので、主たる家事担当者はワーキングメモリをより大きく占有される。権限、資源、責任を丸ごと移譲させねば管理負担を減らせず、家事体験テーマパークと化す。概ね妻がキャストで他がゲスト。

移譲して分担させようにも、軽々に任せられないものもある。トイレ掃除や風呂のカビ取りなどは最たるものだろう。余計に汚れるか破損させるか毒ガスを発生させる危険を無視できない。「良いこと思いついた!塩素系と酸素系を混ぜれば最強の洗浄液が出来るのでは?」などという発想はとてもありふれている。知らないのだから仕方ない。うっかり話を聞いていなければ当然の結果を出してくる。つらい。尻拭いのコストがでかい。無知を罪とするかどうかは人間次第だけど、罰は人間以外から容赦なく下されることもある。

さて、そんな感じで募る苛立ちを解消した具体例として、我が家での家事分担の流れを挙げる。世帯の事情はそれぞれあるため汎用的であるとは言い難い。後に一般化するのでここを読み飛ばしても構わない。

初手は生活空間の分離。ほぼ家庭内別居。亡きお祖母様の台所、寝室、リビングなど床面積にして100m^2近くが活用されずにただ維持管理されていたから出来た。我が家の共同生活者は父母私妹の4人であり、そのうち、主たる家事の担当者は私と母だったのだが、管理で重複したり衝突する場面が多々あり非効率だった。生活空間をしっかり分離することでそれぞれの管理すべき空間を明確化し、掃除や整理整頓などのコストを大きく減らすことに成功した。

次に、コロナ禍によるテレワークの普及を利用した。父は、家ではほぼ飯酒風呂睡眠のみという仕事人間。父の通勤時間を家事に転化。父は典型的な「ゴミ出し(ゴミ袋を回収位置に持っていくだけ)やってます!」タイプの家事ゲストであったが、私のサポートと夫婦間でのいくつかの取り決めと学習によって、洗濯と風呂掃除とゴミ出しや一部の生活物資管理までも担えるようになった。

こうして、やっと、母の家事負担を母の処理容量に収めることができた。*私の両親は共働きです。

家事の分担は管理の分担。私の母は家事の実務者としては非常に優秀。何でも出来る。しかも早い。だが、人が脳内に留め置けるタスクの数には限界(個体差)がある。整理整頓などの、後回しにしても直ちに問題とはならないものがひどい問題となるまで、片付けることを許されずに保留され続けていた。それを、私が家事分担を主導しつつ処理した。3年かけて要不要を分別していき、ゴミ袋に入れられたものだけでも2000L以上あった。

以上の経験の一般化を試みる。

重要なのは、学んで考えて話し合う民主的意思決定と実行プロセスへの慣れとそのための時間、及び、意思決定のためのメタ認知。

なお、性別は考慮に値しない。我が家では「台所は女の城」などと主張して一切の分担効率化を拒んだ母による家事独裁圧政(食事等を通して家族の生殺与奪権を握り、家族に様々なことを強制すること)を、長男が地下牢から城を破壊して分担、民主化した。家事分担はフェミニズム的文脈で語られがちな印象を私は受けるのだが、我が家ではその性別対置概念たるマスキュリズムによって成された。つまり、家事分担で性別という属性は不要であるし、独裁的(属人的)な部分も極力減らすべきである。

2人以上で共同管理するには、管理を管理する必要がある。管理を管理する技術を、私はメタ管理技術と呼んでいる。ジャンル的にはたぶん経営学とか人間工学にだいぶ含まれるんじゃなかろうか。

例えば、「不透明な箱に入れて保管する」「半透明な箱に入れて保管する」

どちらも管理技術だが、明確な違いがある。何がどれぐらい入っているか一目でわかるかどうか。何を入れたか忘れてしまった将来の自分や、何が入っているのか知らない誰かが内容物を確認するためのコストがどれほどか。「自分でやっても忘れる」「自分以外は知らない」という認知を認知して対策することで、管理への参画コストを下げるのがメタ管理技術。

メタ管理技術が家事の分担を楽にする一方で、家事を独占して家族をコントロールしようとする者には自身の権力と存在価値への脅威とみなされる。例えば我が家では、どの方向からもアクセスしやすいステンレスラックを置いて皆で物品管理しやすいようにしようと提案した私に対して母は包丁を向けてきた。気持ちはわからなくもない。3児+夫の生活を支えてきた自負。自らのキャパシティを越えるタスクを効率的に処理するため、家事の独占と支配力を強めた。分担ではなく抱え込んだ。それで20年以上、誰も死なせずに生活させてきた。蓄積し続ける破綻の種を私が解消し続けているのを無視しながら。それを認めてしまえば、怒鳴り声ひとつで容易に望みを成せる絶対的な権力を失うのだ。玉座から叩き落される恐怖が攻撃性に転化されても不思議ではない。

これはパートナーが働きに出るのを拒む勤め人にもある程度当てはまるように思う。世帯にとって唯一の金銭収入源という希少性から生じる世帯内での絶対的な権力。相対化されてしまえばその価値が具体的な値に落とし込まれてしまう。比べられてしまう。仕事にリソースをほぼ全振りしてきたような人にはつらかろう。

かつて企業に就職してお茶くみOLという型に押し込められた優秀な女性達と、家庭内で家事テーマパークのゲストという型に押し込められる夫達は同じ構図のように見える。

世帯での民主的な意思決定には、共同生活者同士がお互いに対等であるという認識や事実、関係性の蓄積が要る。かかあ天下も亭主関白も支配と服従という関係性だ。強烈な支配と服従の人間関係しか知らない世帯の民主化は困難。今は私が世帯の王である。武力を背景として「私の報連相、ちゃんと見て。擦り合わせるから意見要望全部出して」中間管理職系の家事王である。母はリフォームされた台所で笑顔が増えたし、父は「死ぬまで技術者として働きたい」という夢をテレワーク環境の構築でほぼ成した。あとは私が私の人生を生きられるようになればハッピーエンド。難病が生えてきたので一家心中バッドエンドが見えてるけど。

もっと淡々と原因と結果と考察を書いていきたいのだけど、恨み辛みが溢れ出る。これでもだいぶマシになったので続けていこうと思う。そのうち私怨を失敗事例としてきちんと切り分けて整理したい。

一応言っておくが、私は専業主婦(夫)を否定しているわけではない。需給と利害が一致する限り自由に選択すれば良い。支配と服従の関係も同様である。服従することで得られる安寧もある。どれかをしっかり選んで、きちんと機能させているなら問題にならない。家事と仕事の完全分業ではお互いの生命線を握ることで対等になることもできる。共働き家事分担ではお互いに

家事関連の記事を調べると、すごいテクニックがいっぱい出てくる。でもメタ管理とただの管理が分離されていない。そのうちそれらを片っ端から引用、分類してみたい。駄目なパターンも集めて分類してみたい。

分類方法についてメモしておく。まずは定性分類

家事遂行時にかかる負荷の種類を雑に分類
・肉体負荷 カロリーで計測できないか?
・頭脳負荷 時間で計測できないか?
・管理負荷 個数だろうか?これが多いと頭脳負荷で耐えられる上限が低下する気がする。
・感情負荷 我慢。ストレス。いつか神経への傷害度合いで測れるようになるんじゃなかろうか。
・分担負荷 属人性の強さ。必要な知識や経験の量など。

家事技術を、これらの負担を軽減するものとして、その度合を印象で推定する。物理量で測りたいなぁ。

駄目なパターンについてのメモ。とりあえず我が家の話
・気付いた時に気付いた人がやる
 →みんな気付かないふり
・言い出しっぺの法則
 →解決法がわかってるのに誰も言わない
・他人の物を勝手に動かさないルール + 共用スペースに物を放置する習慣
 →最も片付けない人が最も広いスペースを使える

やりたいことのメモ
・noteのUIに慣れる。記事を見やすく編集し直す。
・noteで家事に関する記事を読み漁って引用、分類する。
・経済学をはじめとしたいくつかの体系的な知識を得る。

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