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「らしさ」とは?

Xにおすすめ機能が付いてから同じ人の写真が流れてくるようになりました。写真を見ているとこの人かな?あの人かな?となんとなく分かるようになります。ほんの数人で多くはないですが。
あとは他の方がコメントで「〇〇さんらしい写真」とかもよく見かけます。

〇〇さんらしいって言うことはどう言うことだろう?
人それぞれ求める写真があるだろうから「らしさ」が定まっていくかもしれないけど、
撮って出し、フィルム調、様々なプリセット、コントラストが高い低い、彩度が高い低い、被写界深度が深い浅い、ハイキー、ローキー。構図の取り方もたくさんある。焦点距離もたくさんある。
まだまだたくさん、無限と言って良いくらい撮影手段があるのに「らしさ」が出てくる。

分かりやすいところで言うと、いろいろな作家さんたち、画家、映画監督、漫画家、小説家、写真家もそうだけど、こういう人たちは名前を出すだけで作品が思い浮かぶ。

他の人が真似できるのかと言うと、30年くらい真似したら出来るかも知れない。
30年も続けられたら本物と言うか別の本物になりそうではある。

では、らしさのある人たちが自分の内にあるものだけを使って作品を世に出したかと言うとそうでもない。いろんな刺激を外から受けて自分なりに解釈してから世に出してる。とかよく聞く。
おそらくそういう人たちは真似するのも上手いはず。

作風が変わってないように見える人でもたぶん何かが変わってる。追いかけている人であれば気が付くかも知れない。
変わっていっているように見えるでも人も、根底となる作風は変わっていないのかも知れない。

もはや「らしさ」なんて誰かが観測してるかしてないかの差でしかないような…。
もしくは作家本人が我々に合わせてくれているのか、もしくはその逆で変化を留めているのか。


個人的にはいろいろ試したい性分なので「らしさ」が出る状況がいまいち分からないので考えてみました。

写真を撮っていて「前に似たような写真撮ったな」、と思うことはありますが、それは面白くないのでいろいろな設定や構図で撮ってみます。
けど、一枚目が一番好き、と言う結果が結構あるんですよね…。そういう好みが「らしさ」になっていってしまうのかも知れません。
せめて、「どれ選んでも良いなぁ」くらいになると嬉しい。

違う自分を演じると作風が変わるかも、とか考え出したらキリが無くなってきそうなのでこの辺で。


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