お世話になった人の顔を思い浮かべて頑張る。
よく、「あなたは一人じゃない」みたいな励ましの言葉がある。
いままでいまいちピンとこなかった。
けど、最近なんとなくその意味が分かる気もする。
自分のなんてことない人生でも、振り返ってみるとやっぱりなんだかんだで、いろんな人にお世話になったことが思い出される。
自分を厳しく指導してくれた先輩、辛い時に寄り添ってくれた先輩、ふさぎこんでいた時に支えてくれた友人、一緒に仕事をやり遂げた顧客の方、一緒に遊んだ友人、部活動の時の顧問や担任だった先生、そして家族や親族・・・。
味気ない人生に思えても、無機的な人生なんて無いのだと思う。
何故なら、どんな人生にだって関わってくれた人がいて、それはつまりあらゆる感情、気持ち、心、志、情熱・・・などなどが絡まって来たはずだからだ。
もっと大胆に言えば、コンビニに行ってレジを打ってくれた店員さんの人生だって、絡んでいるのだ。
あるいは、自分の私物を見渡してみる。
パソコン、机、テレビ、スマホ、お茶や水、ハンカチまで。
どれも「無機物」ではあるが、決して「無機的」ではないと思う。
なぜならそれを作った人たちがいて、その製品についてなんらかの感情を費やしたからだ。
人間は生きる限り、誰かの体温と関わらずに過ごすことは無いのだ。
人間だけではなくて、動植物とも関わらずには生きられない。
例えば人間は食べずには生きられないが、食べるということは何かの命を頂いているのだ。
肉や魚は言うまでもないが、米のような植物の命も頂いている。
心臓は持ってないけど、植物だって成長したり枯れたりすることをみれば、命だと思う。
少し話が哲学的になったが・・・。
まあやっぱり人間は他の人間や動植物などと関わらずに生きていくことは不可能だと思う。
とすれば・・・やっぱり感謝を忘れてはいけないと思う。
あまりに月並みな言い回しだけど、やっぱりそう思う。
そろそろ広げた風呂敷を畳むとするが・・・
生活をしていると辛いことや、怖気づくこと、サボりたくなることや、無気力になること、横柄になることや傲慢になることもある。
でもそういう時は、お世話になった人の顔を思い浮かべたい。
食べた米の一粒一粒を思い浮かべることは難しいと思うけど、お世話になった人の顔だったら思い出せる。
その人たちに次に会った時に恥ずかしくないように、顔向けできるように。
その人たちに少しでもプラスを還元できるように。
株主に利益を配当するが如く・・・。
そういうふうに頑張る方法もある気がする。
お世話になった人への恩返しや義理人情、
大切な人を喜ばせる為、
そういう感情を原動力にがんばるやり方もある気がする。
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