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桑田佳祐さんと言葉
最初、ディレクターに言われましたよ。言葉がわからないって。これじゃ売れないんだって。そのあげく、今になってみれば笑い話だけど、「胸さわぎの腰つき」なんて言い方はおかしいって、ディレクター真剣に悩んじゃって、考えてくるんですよ家で。「胸さわぎのアカツキ」ってのはどうだとか、「胸さわぎ残しつつ」ってのはどうだとか、そうじゃないと意味ないよこれ、なんてね。だから絶対大丈夫だよ、みたいな話をしたら、しょうがねえ、じゃそのまま「腰つき」で行こうかって、ディレクターも死ぬも思いで・・・。
結局、語感って言うかなァ、いま考えてみるとそれを大事にしたかったんだと思う。ポップスの世界においては語感を大切にするのが普通だと思っていたし。だから’’乗り’’と言うか、意味よりも気持ちの良さってことしかなかった。あの頃のインタビューで詞の意味なんて云々と言ったのは、その辺の気持ちからですね。
これは、デビューアルバム「熱い胸さわぎ」と、デビュー曲「勝手にシンドバッド」について語った桑田佳祐さんの言葉です。
サザンオールスターズは日本の音楽の歴史を変えたと思うのですが、今回は特に「日本のロック・ポップスに新しい日本語の使い方を導入した」という点に着目してみたいと思います。
冒頭に引用した桑田佳祐さんのコメントにもある通り、
桑田さんは歌詞については「語感」を重視しているようです。
その前に語感とは何か辞書で引いてみました。
ごかん【語感】
語(語句)を聞いて感じる感覚的な印象。
別の辞書も引いてみました。
ごかん【語感】
1.語が与える、論理的意味以外の、主観的な印象。語のニュアンス。
2.言葉に対する微妙な感覚。
なるほどたしかに、サザンの楽曲は語感が重視されていると思います。
音韻という点でもそうですが、音だけではなく、聴き手がそれぞれに主観的に感じたり、連想する情景・雰囲気・ニュアンス。
それらがとっても心地良いし、サウンドと見事に融合していると思います。
それぞれのケースを見てみます。
砂まじりの茅ヶ崎 人も波も消えて
https://southernallstars.jp/lyrics/detail/115/
「砂まじりの茅ヶ崎」
って、実はよーく考えてみると、論理的にはよく分かりませんよね。
だけど、語感としてはなんとなく、分かる。
そして、サイコーにイイ。
とてつもなくイイ。
辞書で確認した通り、「語が与える、論理的意味以外の、主観的な印象。語のニュアンス。」がすごく伝わってくる。
夏の日の思い出は ちょいと瞳の中に消えたほどに
この、「ちょいと」などの古典的な日本語も、サザンの楽曲で時折目にするが、桑田さんは以下のように語っている。
日本語の情緒って、ある面でサザンのやっていることと合うと思う。テレずに言えて、あまり思いいれも強くなく、逆に響きが軽いつまらないものでもない。ニュートラルな感覚で唄えるものって、やっぱりこういった日本語だね。言葉の意味そのものよりも、古来からの日本語の持つ情緒、’’粋さ’’みたいなもので、自分の感性をダイレクトに出したいね。ボクなんかビートルズの影響とか外国の文化にももろ影響を受けているけど、やっぱり日本の’’ワビ’’ ’’サビ’’の感覚っていうのも、もっと言葉に出していきたいね。みんな日本人であることをもっと懐かしむべきだよ。
長唄だとかさのさ、あと古典落語に出てくるような語感、「ちょいと」「ほれたはれた」みたいなことをよく言ってたのね、あの頃は。それがいい!ってよりも、それも一つあるなってこと。(中略)長唄や落語にある語感、江戸言葉風の響きにはすごく親しみを感じるし、色町風っていうのかな、そういうのが好きだな、ロックだって常套句ばかりじゃつまらないもの。
「長唄や落語にある語感、江戸言葉風の響きにはすごく親しみを感じる」と語られているように、「古典的な日本語」が持つ語感も取り入れているのだと思う。
「ボクなんかビートルズの影響とか外国の文化にももろ影響を受けている」というように、サウンドがそれまでの日本の音楽には無かったような、とてつもなくあか抜けたものであったことは言うまでもないが、(当時も、今も。)サザンの楽曲はそれに加えて、日本語の美しさ、語感、音韻が絶妙に調和・結晶し、革命的で奇跡的な楽曲を実現しているのだと思う。
つまり、西洋も東洋も、最新も古典も、古今東西の要素が、奇跡的な調和をなしているのがサザンオールスターズの楽曲だと思う。
他にも、日本的な言葉、語感を取り入れている楽曲は多い。
例えば、「世に万葉の花が咲くなり」(1992)というアルバムは、タイトルから想像される通り、桑田さんは万葉集を読み返したそうだ。
タイトルや歌詞には古から伝わる日本語や日本文化への敬意が込められている。このアルバムの制作の過程で桑田は『万葉集』を読み返しており、日本語独特の情緒や情報量の多さに興味を覚えながら「この言葉を我々はなくしていいのだろうか」といった懸念を感じていたという。
また、「愛の言霊(ことだま) ~Spiritual Message~」にも注目したい。
生まれく叙情詩(セリフ)とは 蒼き星の挿話(エピソード)
夏の旋律(しらべ)とは 愛の言霊(ことだま)
宴はヤーレンソーラン 呑めどWhat cha cha
閻魔堂は 闇や 宵や宵や
新盆(ぼん)にゃ 丸い丸い月も酔っちゃって
由比ヶ浜 鍵屋 たまや
https://southernallstars.jp/lyrics/detail/298/
日本の伝統的な文化や情感を刺激する思い起こさせる言葉が並ぶ。
ともすればクラシカルな感じだが、一方でサウンドはなんとも新しい。
浮遊するような、現実から遊離したような、フワフワとして、舞うようで、人智を超えたものと繋がるような・・・そんな妖しい感じが漂う。
なんとも新しいサウンドだと感じる。
言葉の持つ意味と相まって、まるで「お盆にお墓参りをした時にご先祖様と遭遇したような」・・・そんな妖しい魅力に溢れる不思議な楽曲だ。
「意味」と「サウンド」だけではない。
「音韻」の使い方までもが新しい!
「生まれく叙情詩(セリフ)とは」の「とは」の部分は、
聴いたことのある方ならお分かりだと思うが、
普段の会話で使用する「とは」とは、全く違う音韻だ。
ほとんど「とは」とは発音していない。(「’’とは’’」ばかりですみません。。)
「ツォア」みたいな発音をしているのだ。
つまり、言葉の持っている「意味」と「音韻」と「サウンド」の三層を見事に調和させているのだ。
即ち、意味的な官能性と、音韻としての官能性と、サウンドの官能性を同時に刺激しているのだ。すごすぎる!
日本語的な語感だけではありません。
英語的はもちろん、フランス語、アラビア語?更には恐らく造語(?)も交えて表現しています!
I would never,Now or Never,
Wadi-Wadi,New-Clear U.
I would never,Now or Never,
Wadi-Wadi,Nouveau Blue
https://southernallstars.jp/lyrics/detail/335/
「Nouveau」というのはたぶんフランス語と思われます。
「wadi-wadi」というのはアラビア語でしょうか?
それか桑田さんの造語でしょうか。
かと思えば、日本的な雰囲気も入ってきます。
娑婆(しゃば)でもない 黄泉(よみ)でもない
涙のSunshine Day
こちらも無国籍な感じです。
Amen.''愛''はLibido ''憎''はInsane
おわりに
サザンの魅力は数えきれませんが、一つはその言葉の力、語感の力ではないでしょうか。
今後もサザンから目が離せません!
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