これは、デビューアルバム「熱い胸さわぎ」と、デビュー曲「勝手にシンドバッド」について語った桑田佳祐さんの言葉です。
サザンオールスターズは日本の音楽の歴史を変えたと思うのですが、今回は特に「日本のロック・ポップスに新しい日本語の使い方を導入した」という点に着目してみたいと思います。
冒頭に引用した桑田佳祐さんのコメントにもある通り、
桑田さんは歌詞については「語感」を重視しているようです。
その前に語感とは何か辞書で引いてみました。
別の辞書も引いてみました。
なるほどたしかに、サザンの楽曲は語感が重視されていると思います。
音韻という点でもそうですが、音だけではなく、聴き手がそれぞれに主観的に感じたり、連想する情景・雰囲気・ニュアンス。
それらがとっても心地良いし、サウンドと見事に融合していると思います。
それぞれのケースを見てみます。
「砂まじりの茅ヶ崎」
って、実はよーく考えてみると、論理的にはよく分かりませんよね。
だけど、語感としてはなんとなく、分かる。
そして、サイコーにイイ。
とてつもなくイイ。
辞書で確認した通り、「語が与える、論理的意味以外の、主観的な印象。語のニュアンス。」がすごく伝わってくる。
この、「ちょいと」などの古典的な日本語も、サザンの楽曲で時折目にするが、桑田さんは以下のように語っている。
「長唄や落語にある語感、江戸言葉風の響きにはすごく親しみを感じる」と語られているように、「古典的な日本語」が持つ語感も取り入れているのだと思う。
「ボクなんかビートルズの影響とか外国の文化にももろ影響を受けている」というように、サウンドがそれまでの日本の音楽には無かったような、とてつもなくあか抜けたものであったことは言うまでもないが、(当時も、今も。)サザンの楽曲はそれに加えて、日本語の美しさ、語感、音韻が絶妙に調和・結晶し、革命的で奇跡的な楽曲を実現しているのだと思う。
つまり、西洋も東洋も、最新も古典も、古今東西の要素が、奇跡的な調和をなしているのがサザンオールスターズの楽曲だと思う。
他にも、日本的な言葉、語感を取り入れている楽曲は多い。
例えば、「世に万葉の花が咲くなり」(1992)というアルバムは、タイトルから想像される通り、桑田さんは万葉集を読み返したそうだ。
また、「愛の言霊(ことだま) ~Spiritual Message~」にも注目したい。
日本の伝統的な文化や情感を刺激する思い起こさせる言葉が並ぶ。
ともすればクラシカルな感じだが、一方でサウンドはなんとも新しい。
浮遊するような、現実から遊離したような、フワフワとして、舞うようで、人智を超えたものと繋がるような・・・そんな妖しい感じが漂う。
なんとも新しいサウンドだと感じる。
言葉の持つ意味と相まって、まるで「お盆にお墓参りをした時にご先祖様と遭遇したような」・・・そんな妖しい魅力に溢れる不思議な楽曲だ。
「意味」と「サウンド」だけではない。
「音韻」の使い方までもが新しい!
「生まれく叙情詩(セリフ)とは」の「とは」の部分は、
聴いたことのある方ならお分かりだと思うが、
普段の会話で使用する「とは」とは、全く違う音韻だ。
ほとんど「とは」とは発音していない。(「’’とは’’」ばかりですみません。。)
「ツォア」みたいな発音をしているのだ。
つまり、言葉の持っている「意味」と「音韻」と「サウンド」の三層を見事に調和させているのだ。
即ち、意味的な官能性と、音韻としての官能性と、サウンドの官能性を同時に刺激しているのだ。すごすぎる!
日本語的な語感だけではありません。
英語的はもちろん、フランス語、アラビア語?更には恐らく造語(?)も交えて表現しています!
「Nouveau」というのはたぶんフランス語と思われます。
「wadi-wadi」というのはアラビア語でしょうか?
それか桑田さんの造語でしょうか。
かと思えば、日本的な雰囲気も入ってきます。
こちらも無国籍な感じです。
おわりに
サザンの魅力は数えきれませんが、一つはその言葉の力、語感の力ではないでしょうか。
今後もサザンから目が離せません!