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子どもを甘やかしすぎていませんか?「がまん」が意志の強い子をつくる

「目に入れても痛くない」と表現されるのが我が子のかわいさです。とくに3歳くらいまでの赤ちゃんから幼児期の子どもは、手がかかるものの、つたなさやたどたどしさが特にかわいらしい時期です。それゆえに、まだ何もできないからとついつい世話を焼きすぎたり甘やかしてしまう時期でもあります。

実は、子どもをがまんができる意思の強い子に育てるには、この時期こそ甘やかさず厳しくするとよいのだそう。

いったいどのような「厳しさ」が子育てするうえで必要なのでしょうか。


●意志の強さ、耐える習慣は3歳までに身につく

子どものしつけを考える上で、第一に考えなければならないことは意志の教育、すなわち子どもを意志の強い子に育てるということです。

ところで意志が強いということは、自己中心でわがままということではありません。逆に己の欲望や、感情に打ち勝つ力を持つことが、意志が強いということです。 子どもの個性を伸ばし、創造性豊かな人間に育てるには、苦しみに耐え、 欲求不満に打ち勝つ子どもに育てることを考えねばなりません。意志の弱い子は個性を伸ばすことができません。

そのような意志の強さ、耐える習慣は、子どもが3歳になるまでにほとんど身についてしまいます。3歳を過ぎて、聞きわける力がついてからしつけを始める、では遅いのです。 このときまでにできあがった性格は、変えにくいものになっています。

何も知らない3歳までの間に、いけないことはいけないと教えてやるしつけを考えることが大切です。

大きくなって子どもが非行に走る原因の一つは、忍耐力の欠乏、すなわち自分の感情や気持ちを抑える意志の力が育っていないことです。 がまんする力がないために非行化するのです。

非行化は、実は赤ちゃん時代に子どもを甘やかすことから始まっています。 外国人が日本に来て、日本の小さな赤ちゃんを見たとき、「日本は赤ちゃんと老人に、最大のわがままと自由が許されている。日本は実に赤ちゃん天国の国だ」といわれた時代があったほどです。

●「厳しさ」を必要とする子どもたち

日本では赤ちゃんのときにわがままを許し、甘やかして育てておいて、大きくなるにつれて次第に厳しくしようとするが、アメリカでは赤ちゃんのときにこそ厳しく、 次第にそれをゆるめていくそうです。

 『菊と刀』(講談社学術文庫)という本の中で、ルース・ベネディクトという著者は、 日本とアメリカでは子どもにどの年齢で厳しく接するかを曲線で表した、厳格曲線が逆だと述べています。

厳格曲線は0歳のときにもっとも厳しく、3歳になると少しゆるめ、6歳になって もう少しゆるめ、9歳になればもっとゆるめ、以後は親子話し合いの指導にもっていけばよいのです。

0歳のときにもっとも厳しくというのは、具体的にどういうことでしょうか。 赤ちゃんが泣くと、親は何をおいても飛んで行って、すぐ抱き上げます。 これでは待つ、がまんするといういちばん大切なことがしつけられません。

赤ちゃんが泣くのは、むしろ呼吸の訓練になると考えて、あわてて飛んで行かず、充分泣かせたあと顔を出して、いきなり手をかけず、顔と顔を合わせて「どうしたの。お腹がすいたの?」、あるいは「おむつが汚れて気持ちが悪いの?」などと声をかけ、泣きやんだら手をかけるという習慣をつくるとよいのです。

すると赤ちゃんに、待つ、がまんするという習慣がこの頃から身につきます。 自分が泣くと、やがて落ち着いた親の足音が聞こえ、戸を開ける音がして親が顔を出し、にこっと自分を見て笑ってくれる。 それから顔と顔を合わせてやさしい声で語りかけてくれ、自分が泣きやむと抱いてくれる。こういう流れが記憶でき、待つことが苦痛でなくなります。このように、待つことをこの頃から習慣づけるとよいのです。

子どもが何かを買ってほしいと言ったとき、もしそれがダメな場合は、いくらひっくり返って泣き叫んでも、「ダメなものはダメ」と譲らない厳しさが親に必要です。

小さな頃からちょっとしたことを待つ、 がまんするという習慣がついていれば、このような場面を演じる子どもは育たないものです。

子どもの望むままに育てることは、決して子どもの意志を自由にのびのび育てる結果にはなりません。それは子どもをわがままに育てるのです。

子どもを甘やかし、がまんを教えないと、子どもの欲求は次第にふくれ上がって、 抑えることを知らなくなります。

子どもの欲求不満はがまんさせられることから始まるのではなく、実はがまんを教えられなかったことから始まるのです。 欲求不満は与えられないことから生じるのではなく、反対に与えすぎることから起こることを知らなくてはいけません。がまんを知っている子どもには欲求不満はないのです。