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noterさんって「なんちゃってクリエイター」や「クリエイターもどき」ばかりで、noteで何してんの?

こんにちは、しちゃうおじさん(以下「しちゃおじ」)です。

noteって、会員登録をしたユーザーのことを「クリエイター」と呼んでいるのですが、実際のところクリエイティブな創作活動をされている方は稀少で、“なんちゃってクリエイターさん” や “クリエイターもどきさん” ばかりなのが現実ですよね?

先日に{『圧倒的GIVE』とか『徹底的ギバー』とかギブギブ言ってるアカウントやコミュって胡散臭いよね!}の記事を書きましたが、どういうわけか情報商材屋さんレベルの方が運営している共依存コミュニティに参加して、ギブギブ言って、自分の居場所をどうにか確保しているような方も割りと多くて、『noteで何してんの?』状態になっています。

こういった情報商材屋さんレベルの方が運営している共依存サークルに参加してしまうような方というのは、世に溢れている情報の価値を正確に理解することができませんし、当然に物事の本質を見抜くこともできませんので、いくらnoteをがんばって更新してみたところで、お付き合い以外の本当の読者さんがいない「幽霊note」のままで終わります。

こんなことは「しちゃおじ」がここに書かなくても、そういったサークルに参加されている方のnoteを閲覧してみれば “答え” が出てしまっているのですが、共依存の傾向にある方というのは『私(のnote)を構ってくれるかどうか?』が判断・評価の基準となっているため、ギブギブコミュに居心地の良さを感じてしまい、いつまで経っても現実を見据えることができないままに自己中noteを運営し続けた挙げ句、noteを退場していきます。

先日の{『圧倒的GIVE』とか『徹底的ギバー』とかギブギブ言ってるアカウントやコミュって胡散臭いよね!}の記事の冒頭では、以下のように書きました。

このnoteに限らず「圧倒的GIVE」とか「徹底的ギバー」とかギブギブ言ってるアカウントやコミュニティって、もう胡散臭さを通り越して救いようのないくらいキショいですよね?

“胡散臭い” というのは文字通りそのままなのですが、『どうしてキショいのか?』は「しちゃおじ」自身も言語化できていなかったのですが、偶然にもビットコインを発明したIQ180の天才クリエイターであるクレイグ・ライト博士の挨拶文を読んでいたところ、その “キショさ” が明確になりましたので、ここでご紹介させていただきます。

一応触れておかないとおかしなことになるので書いておきますが、ここ言うところの “ビットコイン” とは、無用の長物デジタル・ゴールドバージョンの「BTC」ではなく、ホワイトペーパーにて定義がされているP2P電子通貨システムでありマイクロペイメントが実用化済みの「BSV」のことです。

ビットコインを考案・発明したのは、クレイグ・スティーブン・ライト博士で十中八九間違いがありませんが、この件に関しましては現在進行中の英国での裁判を経て(おそらく一転二転して)、やがてその名が歴史に刻まれることとなるでしょう。

クレイグ・ライト博士の挨拶文につきましては、大変ありがたいことに古参ビットコイナーである「kenshishido」さんが翻訳文をnoteに投稿していただきましたので、そちらから一部を引用させていただきました(全文を読みたい方は、以下記事をご覧ください)。

“なんちゃってクリエイターさん” はもちろん、クリエイター(創作家)として市場に新しい価値を創造していきたい方は、流し読みをすることなく熟読と一考をオススメいたします。

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「クレイグ博士の新年の挨拶」の抜粋

クリエーター(発明者)の基本的な必要性は自立である。理性的な精神は、それが自律的に機能し、いかなる形の強制、犠牲、外部の配慮への従属にも抵抗するときにのみ繁栄する。機能においても動機づけにおいても、完全な自律性が求められる。クリエーター(発明家)にとって、仲間との交流はすべて二次的なものである。
 
対照的に、搾取的模倣者の第一の欲求は、自分を維持するために他者とのつながりを確保することである。彼は対人関係を優先し、利他主義の教義を広め、人間の目的は他者に奉仕し、自分よりも他者の幸福を優先することだと主張する。
 
利他主義は、個人は他者のために生き、自分よりも他者を優先すべきだと主張する。しかし、肉体を分かち合う以上に精神を分かち合うことができないように、人は他者のために生きることはできない。しかし、搾取的模倣者は利他主義を搾取の道具として悪用し、人類の道徳心を歪めてきた。社会は、クリエーター(発明家)を貶める原理を教え込まれ、他人に依存することを美徳とするようになった。
 
他人のために存在しようとする個人は、依存者となり、本質的に寄生虫のような動機となり、自分が奉仕する人々をも寄生虫に変えてしまう。そのような関係は、相互のモラルの崩壊しかもたらさない。それは本質的に欠陥のある概念である。それに最も近い現実、つまり他人に奉仕するために生きる人間は、自発的な奴隷に似ている。肉体的な奴隷も忌まわしいが、精神的な奴隷はさらに忌まわしい。「愛」の名の下に進んでそうする奴隷的な個人は、人間の尊厳を貶め、「愛」の概念そのものを汚す。これが利他主義の本質である。
 
社会は、最高の美徳は達成することではなく、与えることにあると信じ込まされてきた。しかし、創造されていないものを与えることはできない。創造は分配に先立つものであり、そうでなければ分かち合うものは何もない。
 
(中略)
 
社会は、他者と合意することが美徳であるという信念を植え付けた。逆に、クリエーター(発明家)は反対意見を歓迎する。同調することが美徳とされてきたが、クリエーターは流れに逆らって前進する。団結は美徳とされてきたが、クリエーターは孤独の中で毅然と立っている。
 
(中略)
 
適性のレベルはさまざまであっても、基本的な原則に変わりはない。人間の独立性、自発性、仕事に対する個人的なコミットメントの度合いによって、貢献者としての卓越性と人間としての価値が決まるのである。独立性は、人間の美徳と価値の唯一の尺度である。人の本質は、他人のための行動や不作為によってではなく、その人自身が何になり、何をなすかによって定義される。個人の尊厳に代わるものは存在せず、個人の尊厳の唯一の基準は自立である。

はい!

『圧倒的GIVE』とか『徹底的ギバー』とかギブギブ言ってるアカウントやコミュって胡散臭いよね!}の記事を読んでイラついちゃった人、キショい理由がわかるよね?

対照的に、搾取的模倣者の第一の欲求は、自分を維持するために他者とのつながりを確保することである。彼は対人関係を優先し、利他主義の教義を広め、人間の目的は他者に奉仕し、自分よりも他者の幸福を優先することだと主張する。

上記の「搾取的模倣者」なんて、まさに共依存サークルを運営してギブギブ言っているような情報商材屋さんのことで、本人が自覚しているか無自覚なのかは別として、「利他主義の教義=ギブギブ教」を声高に主張することで共依存者さんから搾取をしています。

つまり、怪しい新興宗教だから ”キショい” わけですね!

✅ クリエーターの基本的な必要性は自立である。
✅ クリエーターにとって仲間との交流はすべて二次的なもの。
✅ 搾取的模倣者は利他主義を搾取の道具として悪用する。
✅ 他人のために存在しようとする個人は依存者となる。
✅ 創造されていないものを与えることはできない。
✅ クリエーターは孤独の中で毅然と立っている。
✅ 個人の尊厳の唯一の基準は自立である。

上記をまとめると、『クリエイターなら自立をして、搾取の道具「ギブギブ教」に入信してギブギブ言ってないで、創作家として与えるための価値を創造する』ってことですね。

「しちゃおじ」が伝えたいこと、少しは伝わったかな?

以上 – noterさんって「なんちゃってクリエイター」や「クリエイターもどき」ばかりで、noteで何してんの?– でした。

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