猫を抱いて象と泳ぐ
「小川洋子さんの本はどれも美しくて哀しくていいよ」
と、某大学の日本文学科卒の知人の女性が薦めてくれました。
僕は薦められるがままに小川洋子さんの書いた本を10冊くらいネットで購入し、とりあえずこちらを読んでみました。
結果、号泣。
すぐさま薦めてくれた知人に感想を伝えると
「彼女の文章はリズムが心地いい」
という発言が。
これ、結構抽象的な発言だと思うのです。
思うのですが、僕的にはスッと腹に落ちました。
だって確かに読んでいて心地よかったから。
「文は人なり」ってどういうこと?
これって何か格言的な雰囲気を纏った文ではあるけど、よくよく考えると、そんなの当たり前じゃん、とも言えると思うのです。
だってその人が書いた文章なのだから。
でも例えば、写経した文章は、写経した人の文ではないわけです。
またChatGPTの文章だって「誰の文章?」と質問して「ChatGPTです」と答えられても、確かそうだけどさ、、、感があると思うのです。
そう考えると、文は人なりってよくわかんなくなってくる。
でも今回、小川洋子さんの『猫を抱いて象と泳ぐ』を読んで腑に落ちたのです。
誰かの真似事ではなく、自分の腹の底から出てきた言葉(思想)が、文は人なりだということに。
これを、リアリティと呼んでも、実存と換言してもいい。
逆に実存がない言葉とは、挨拶文やビジネスで使うような雛型がある定型文的なもので、理由は単純、これらで心を動かされることはほとんどないからね。
そんなリアリティある文章には癖がある。
人によって話し方に癖があるように。
それがリズムという感覚であったりして「あぁこの人の文章(リズム)好きだな」となるのだと思います。
そして、リズムが心地よい本に出会えた時、読書家は幸せを感じる。
読書をする目的には十分すぎる理由だと個人的には考えています。
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