単なる知識欲から、真実を目指す読書へ
「なぜ、本を読むのか?」
に対して、誰しもが100%納得する答えはないとは思うけど、仮に「新しい知識を得るため」という答えを提示したとして、何となく共感してくれる人は多いと思う。
なぜなら、僕らの学習の過程に読書は欠かせないということは、学生時代を思い起こせば、みんな経験していることだからね。
そんな読書について僕は
自分自身の中にある常識を更新するために本を読む
と読書会の場では偉そうに言ったりするのだけど、、、常識を更新するってすごく難しい。
だって、常識って自分の中だけで作られるものではなく、自分がいる社会によっても作られるものだから。
自分を変えるだけだから社会は関係ないと考える方も多いとは思いますが、自分と社会を切り離すってのは思いの外難しいのです。
例えば、「人生においてお金が全てじゃない」と言われたって、ほとんどの人には、綺麗事にしか聞こえないわけです。
なぜなら、お金がないと生きていけない社会に生きているからね。
だから「分かるよ、その通りだよね」と言ってみたところで十全に納得はできない人がほとんどなのです。
そこでほぼ諦めの姿勢で
「しょうがないじゃん、それが人生でしょ?」
と仕事とプライベートと割り切ってみる。
でも、人生における仕事の割合は大きいし、割り切りでする仕事のほとんどは、人の心を疲弊させていくだけの仕事だから、不安と孤独感がいつも隣にある日々を送ることになる。
そしてここで人は二通りに分かれる。
そのまま特に何もしない人と、自分の人生をよりよくしようと行動を起こす人とに。
これはどちらがいいとか悪いとかではないです。
前者にネガティブな印象を持つ人が多いでしょうけど、でも現状維持だからといってもその人なりの役割を社会において全うしているという見方もできるので、決して悪いことではない。
逆に後者の場合の方が悪いことになることは多いかもしれません。
例えば、今より収入があれば幸せになれると考え、詐欺まがいのビジネス商法に手を出し、結果、泡銭を手にできたとしても、家族や友人といったお金には決して変えることができないものを失う、なんてことはドラマや漫画の世界だけではなく、日常にもよくあることです。
もちろん人は間違う生き物です。
やることなすこと全てが完璧な人なんていません。
故に、お金を得たいという欲だって決して間違いではない。
ただその手段が適切ではないと、大事なものを失う。
だから人はずーっと学ぶ必要がある。
なぜなら、繰り返しにはなりますが、僕らは完璧ではないから。
でもつい自分は正しいと思ってしまう。
それは、僕らは自分の世界しか生きられないからです。
だから絶対に正しいと思ったことを続けていても、なぜか状況が好転しないことはよくある。
アジア人初でノーベル賞を受賞した詩人のタゴールはこう言います。
だから、僕はいつも心の片隅に「自分は絶対ではない」という思いを置いています。
そうすると、本を読む意味も少し変わってくる。
単なる知識欲から、真実を目指す読書へと。
絶対的な価値がない時代と言われている今を生きる僕らにこそ必要な活動、その一つが読書だと僕は考えています。
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