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誰かの3.11は、誰かの3月の金曜日であり、誰かの今日だ。

2012年の3月10日に、mixiに書いた日記のことを思い出した。

僕にとっての3.11は3月11日ではなく、3月の、ちょっと暖かくなってきた、午後から急に曇り、冷え込み、長蛇の列をなすドミノの一枚としてビッグサイトから目黒まで歩き、満員のバスに乗って、当時暮らしていた三軒茶屋に帰った、ある金曜日のことだ。

その日、ビッグサイトは聴いたことのない音を立てて揺れた。足が恐怖を感じたのは初めてだった。

それはちょうど今日にあたる。


僕は今、この時期以外はほとんど、震災のことを考えずに生きることができている。

だけど、いろいろな事情で、まだ毎日向き合っている人々もたくさんいる。

その方々にとっては、3.11は3月11日のことでも3月の金曜日のことでもなく、今日のことだ。

3月11日のことを例にとったけれど、1.17も3.10も8.6も8.9も、向き合っている限りは、いつかの出来事ではなく、今日のことである。


僕が当事者なら、やっぱり忘れたい。

あの日を忘れられる日が来ることこそ、あの日を忘れても同じことが絶対に起きない状況を作ることこそ、本当の防災だと思う。


2012年に書いた日記。

今日、東京ビッグサイトのSecurityShowという展示会に足を運んできた。

一年前のちょうどこの金曜日、SecurityShowの最終日に僕は地震に遭った。

仙台に本社のある企業のブースで、仙台は大丈夫でしたか?という話をしたり、
去年、実際に地面が揺れたときに一緒に駄弁っていた青木さんと、今年もその時間のすぐ直前まで駄弁った。

気が済んで帰社しようと思って会場を出たところで、たまたま会場にある時計を見た。

14:46

この瞬間を何か形に残しておくべきか迷いながら、携帯電話を取り出そうとしたところで、
14:47になった。

一年が経った。


2011年は確かに3月11日だったかもしれない。

2011年3月11日の記憶は、僕にとっては、金曜日に有給休暇を取ってわざわざ行ったビッグサイトの展示会で地震に遭った、ということであり、本当に同じシチュエーション、同じタイミングで、ということを考えれば、金曜日の午後、同じ展示会にいる今日の14:46こそ、正しく「一年後」である。
明後日の、日付だけおんなじの3月11日は、社会の共通の合意としての「東日本大震災が起こった日」である。僕の3.11はそこにはない。シンボルとしての東日本大震災がそこにはあって、僕の東日本大震災は、3月11日に一番近い金曜日の、東京ビッグサイトの展示会にある。

一つの出来事について「歴史」に残る形とは違う記憶をもっているということが、この時代に生きている、その時代を生きてきたという証明であり、生きてきた、生き残っている、生きていくという実感を喚起するのである。


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