1年
2022年10月24日
僕が所属していた、中高の柔道部の顧問の先生で人生の恩師である先生が亡くなってから1年が経ちました。
この1年は早いような長いような、、、
色々なことを考える1年となりました。
先生が亡くなり、先生の後釜として母校の保健体育の教員になりました。
柔術の指導の仕事もしているので、授業だけの非常勤講師として、柔道部の活動にはなかなか参加できてはいませんが、、、
先生が亡くなってから色々考えることが多くなりました。
これからの人生のことや、先生から学んだこと、どの道を進むのが正解なのか、
私立の中学校に入り、元々野球をしていたこともあって初めは野球部に入りました。
何のきっかけだったか忘れてしまいましたが、野球部はすぐに辞めて柔道部に入りました。
そこが先生との出会いです。
柔道の技すら知らず、体も心も小さく弱い自分を見捨てずに育ててくれました。
(当時部員も少なかったこともありますが笑)
その当時から先生はいつも言っていました。
「応援される人間になれ」
「私生活をしっかりしろ」
「気づいたことはやれ」
勿論、柔道の技術的なことも多く教えてもらいましたが、それ以上に人間性のところを多く指導してもらいました。
その指導を受けて、見て、感じて、
自分も先生のようになりたい、この精神を伝えていきたいと思い、教員を目指すようになりました。
高校を卒業してからも先生との交流は沢山ありました。
柔道部のコーチとして僕を指名してもらいました。
日々の練習は勿論のこと、試合や遠征、合宿の付き添いなど卒業してからも先生にお世話になっていました。
教育実習の指導教官もしてもらいました。
僕が教員になり、そのときも相談に乗ってもらったり、色々アドバイスもしてもらいました。
教員を辞めようと思ったときも相談をしました。
「教員だけが人生じゃないし、柔術で食っていくのも面白いかもね」
先生からそんな肯定的な言葉をかけてもらったことはずっと心に残っています。
全ての大会ではないですが、試合報告をして喜んでもらえてとても嬉しかったです。
柔術の競技者としてインストラクターとしてようやく生活の基盤が整い始めた頃、急に一回り上の先輩から電話が来ました。
それは先生の訃報でした。
頭が真っ白になってそのときはどうしたらいいか分からず、放心しました。
とりあえず、他の先輩に連絡をして状況を報告しました。
そのあとは、その先輩が同期や他の柔道部OBの連絡をしてくださり、自分は入ってきた情報を共有することしか出来ませんでした。
何度も夢じゃないかとか誰かと間違えたんじゃないかと疑いましたが、真実でした。
心が落ち着かないまま、母校の体育主任の先生から連絡があり、
「びっくりしてて動揺が続いているけれど、学校としては先生の後の教員を緊急で探さなければならない状態だ。OBで先生の教えを受けてるお前がやってくれないか。」
と言う話がありました。
小学校を辞めるときも柔術をしたくて辞めて、ようやく基盤が整ってきたときにまた教員に戻るのは抵抗がありましたが、状況も状況であり、僕の条件を受けてもらえたので引き受けることにしました。
そんなことがあり、この1年
朝は体育教員として授業、夜は柔術インストラクターとして指導、空いている時間は自分の練習という生活を送っています。
心身ともにしんどい生活をしていましたが、それから1年も経ってしまいました。
もう1年なのかと感じるのであっという間だったと思います。
これから先ももう◯◯年かと日々を過ごしていくのかと思うと寂しく感じると思います。
先生はいなくなってしまいましたが、先生から教えてもらったことはずっと残り続けるし、それを教訓に一生懸命、生きていこうと思います。
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