No.203 「LIVE A LIVE」HD-2Dクリア記念雑感 10 最終編 --何故彼は英雄足りえたのか--

0. はじめに

 ここまでくれば, もう何も言うまい. 「LIVE A LIVE」30周年記念のこの日に note を捧げる. 

1. 最終編 誰で行くか?

 これもまた「永遠の命題」である. 私は功夫編のユンで行った. それこそ2年前(!)のアンケート

にも書いたように

『英雄に最も近かったのになれなかったオルステッドに対峙すべきは, 英雄に最も遠かったのになれた彼こそが最もふさわしいと思うから.

また伝承, 継承の物語の観点からも彼らは互いに対となる存在であるから.』

である(より正確には旧作の選択をそのままなぞった. 昔, 何故それを選択したのかはわからない. 恐らく功夫編が好きだったからだと思う). 補足しておくならば, これは中世編において, ハッシュ-ウラヌスとオルステッド-ストレイボウの伝承, 継承がうまくいかなかったこととの対比である. 

 これをみても(あるいはエンディングのやりとりをみても)わかるように, これは

「オルステッドに何(誰)の理を持って対峙するか?」

という命題である. 私は, 前回, 前々回の note の流れ(「英雄」の「道化」の差は何なのか?)からユンが最適解だと思っている. 無論, その他の解もアリである. 

 言葉無し(理屈抜き)に抱きしめたり, 花を出す, ポゴやキューブも面白い解だし, 人間に絶望し, 孤独(or 孤高)になったサンダウンもオルステッドとの差異(それでもなお人をもとめるか, 否か)もアリだ. あるいはラストの問答, 解そのものよりも, 「心が読める」という能力で苦しんだアキラと, 心が読めずに苦しんだオルステッドという対比も面白い. 以前の note 

で述べた

「ラストシノビとして, 自身だけでなく, 「忍び」が人を斬ってきた(歴史の闇の部分の)業を引き受ける」という真に果たすべき役割(密命)に目覚める

というようなおぼろ丸の物語を妄想するならば(オリジナルのように単純に「不殺の信条」だけだと弱い気がする), これとの相性も良さそうだ.
``知力''は… なんか「心も強くなりたい」とか言ってたけど, ソレ功夫編と被るんだよな… でもまぁ, ``知力''だからいっか…

 ともかく空閑有吾(ワールドトリガー)の教えの如く

「正解はひとつじゃない. 物事にはいろんな解決法がある(逆に解決法がないときもある(正にこれが中世編?)).」

のが, オールスター集結というクライマックス的シチュエーション以外の最終編の醍醐味であろう.

2. 「7人の英雄と英雄になれなかった1人の男の物語」から「8人の英雄の物語」へ

 かつて「LIVE A LIVE」とは

「7人の英雄と英雄になれなかった1人の男の物語」

であった. それが今回の HD-2D リメイクにより, その結末を変えることなく

「8人の英雄の物語」

へと変わった(「如何にして変わったのか」については後述).

 これを

「かつて不完全だったものが, 完成した」

と見る向きもあるかもしれないが, 私は厳密にはそれは違うと思う.

 すなわち

「これは両方必要だった」

のである. 仮にこれが最初から「8人の英雄の物語」であったのならば(そしてリメイクはそれを忠実に再現したものならば), 多分今回のリメイクの印象も大分違うモノになっていただろう.

 これは旧作を知る者の特権のようなものだが, 別に HD-2D リメイクから入った者に対してのマウントを取っているわけではない. むしろ

「リメイクというものの在り方, 可能性を問うた」

意義, 価値を強調したいのである. かなりメタ的な評価の仕方になるが, かつてのアンケートで

『後世の辞書の「リメイク」の項目に

『LIVE A LIVEとそのリメイクのこと』

と記述すべき偉業だと思います.』

と書いた大きな理由の一つがここにある.

3. 何故彼は英雄足りえたのか?

 さて, 上述の

「如何にして変わったのか」

であるが, これは正に表題の

「何故彼は英雄足りえたのか?」

に尽きる(英雄で無かったものが英雄になり, 一人増えているのだから!). 

 表面上は非常に単純で,

「彼らを呼び, 彼らに出会ったから」

である. だが, それだけであれば旧作でも同じであった. HD-2D リメイクが旧作と異なった点は

「彼らを呼び, 彼らに出会い, 更に「道化」ではなくなったから(最後にオルステッドとして目覚めたから)」

である.

 現在では,

「中世編のラストにおいて, オルステッドがしゃべりはじめ, プレイヤーの手を離れた時点で「道化」で無くなった」

という解釈が優勢だと思う. しかし私の解釈は異なり, 彼は最終編まではまだ「道化」のままなのである. つまり中世編において彼は

「「勇者」という「道化」から, 「魔王」という「道化」にスイッチした」

に過ぎないと考える.

 これは色々な意味で実際そうで, メタ的に言えば魔王オディオは「LIVE A LIVE」以後のエンタメにおける「魔王」の一つのステレオタイプにもなったように思う. それ自体が「LIVE A LIVE」の一つの功績のようなものとも言えるが, 今回の HD-2D リメイクはそれを乗り越え, それゆえにオルステッドは英雄足りえた. 

 この辺はトートロジーというか, 少なくともこの説明だけだと「卵が先か, 鶏が先か」という印象を受けるだろう. ここで先に述べた「これは両方必要だった」が活きてくる. つまり何故前回はダメだったが, 今回はできたのか. 前回と今回で決定的に違った点は何か? 

 それは BEST END の条件をみればわかる. つまり

「各編の主人公を全員で最終決戦に臨む」

である. これを聞くと「なんだ, そんなことか」と思われるかもしれない. あるいは

「いや, 旧作でも全員揃えたけどダメだったじゃん」

と言う厄介オタク(?)もいるだろう.

 よく見て欲しい.

「全員揃えて」

ではなく,

「全員で」

なのだ.

 昨日の30周年記念公式生放送でも公開されていたが, 旧作の企画書段階では7人全員で最終決戦に臨むことになっていた. それが, 恐らくは当時はSFCの性能, 容量の問題もあり, 実現できなかった. 今回の HD-2D リメイクはそれを文字通り乗り越え, 実現している.

 これをメタ的, 象徴的に(いささか飛躍して)妄想すると以下のようになる.

「当時の我々はオルステッドを止めることはできても, 救うにはまだ力不足だった. しかし四半世紀以上の時を越え, 我々は強さを得, 多くのライブアライバーを得, もっと言えば時流を得, 遂に彼を救えるところまで来た.」

これはメタ的な意見だが, HD-2D リメイクは正にこのことを象徴的に描写していると感じた.

 つまるところ, オルステッドを GIGALOMANIA (届かぬ翼 × MEGALOMANIA) の中で目覚めさせたものは英雄たちの(人の)生き様である. 「LIVE A LIVE」の場合は「憎しみ」が主題であるが, これを「絶望」とか, 「ニヒリズム」とか, その手のナニカに置き換えてみたり, 「愛憎一如」から「愛」等も射程に入れるならなおのこと「魔王」は普遍的存在, 事象であることは容易に納得できる.

 そして, それら「魔王」に抗するモノは

「それでもなお生の意義, 価値を信じて生きた人の生き様, その積み重ね, キセキ(軌跡, 奇跡)」

本質的にはコレしかない. 私個人にとってはこれは日本的な意味での(「天」や「God」とは異なる)「カミ」と殆ど同義なのだが, ともかく「コレ」との繋がり, 縁無しには恐らく人は, 人として生きることはできない. 

 オルステッドは不幸にも, そこに彼自身の非が全くなかったわけではないとはいえ, その繋がりを絶たれてしまった. それが彼の悲劇である. ならばそれを繋ぎなおす. 「憎しみ」や「絶望」が深いのであれば, より深く, より多く. 「愛憎一如」の逆を考えれば, 「憎しみ」を逆に「愛おしさ」に転じることもできるはず(ユンはそういったオルステッドの適正(?)を「じゅんすい」と評していた)なので, この思想はそれほど荒唐無稽なわけではない. 実際そうであるがゆえ, つまり一種の真理であるがゆえ, 「LIVE A LIVE」をはじめ多くの物語はこれに類する寓話的ないし説話的構造を持つ. 

 オルステッドに関して言えば, Sinオディオ(憎しみ)の中から目覚める直前

「おまえ…たちは…」

からの

「私…は…(オルステッド)」

という問答(自問)がなされている. ここであくまで「おまえたち」の方が先であることに注意したい. 「おまえたち」がいたから「私」を思い出せたのだ.

 以前は恐らくこの「おまえたち」の力がまだ弱く, あの時の彼を救うには至らなかった. それが四半世紀以上をかけ, 「LIVE A LIVE」を知り, 人を知り, 世を知り, 時代を知り, 我々は成長し, 強くなり, そして今 HD-2D リメイクの「LIVE A LIVE」の下に再び集った. すなわち上述の「全員で」というのは, メタ的に解釈するとそういった30年にもわたる「LIVE A LIVE」を巡る多くの人達の全ての営みの象徴のように私には思えたのである.

 穿った見方をすれば, これも(ウチの note で何故か「LIVE A LIVE」よりも人気な某漫画の某クリムゾン様の如く)

「愛とか勇気とかなんかそういう素晴らしい系の力を結集して…(オルステッドを救う)」

というありがちな展開, オチのようにも思える. だが「LIVE A LIVE」は, 文字通り

「太古の昔より, 遥かなる未来まで, 平穏なる時も, 混迷の世にも, あらゆる場所, あらゆる時代に」(更には「第四の壁」を越えてまで?)

それをもとめる物語である点が極めて異色であることに注意したい. 昨今は「まどマギ」等(これももう13年も前だが)でもやってるし, 割とよくあるが, 物語の設計, 構造上, ここまで綺麗に, 深くハマる事例は恐らく殆ど皆無であろう.

 また印象的なのは, この BEST END だと Sinオディオ戦の後, カメラがオルステッド視点になり, 主人公達との問答がこちら側に語り掛けられる描写になっている点である. 旧作, あるいはノーマルエンドではこの視点が逆, つまり最終編に選んだ主人公側の視点からオルステッドに語り掛ける描写になっていた. さり気無いが非常に面白い旧作との相違である.

 これにより, オルステッドがもう一度プレイヤー側に返されており, 如何に彼が救われたのかをプレイヤー視点として体験できるように, あるいはこの場面は明確にオルステッドの物語として設計されている. ここでの彼は明らかに中世編での「道化」ではなく, 確かに「英雄」オルステッドだったのである. 

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