No.124 コラボイベント考察 --出力形式と実在--

 先日, たまたま東京出張できたので, 件の「千年戦争アイギス」とゴーゴーカレー 秋葉原店とのコラボに行ってきた. ちょうど再販のタイミングだったので, お目当てのクリアフォルダーも入手できて良かった. 

 考えてみれば, 「ワールドトリガー」やら「NieR」やらで, 私の関係あるクラスター界隈でのコラボイベントはこれまでもあったのだが, (何なら今回のように店の前まで行ってなお)特に興味はなく素通りしていた. これらは「アイギス」と違い, 知名度やコラボ以外の諸々のイベントがそれなりの頻度であるので, コラボイベント自体もイベントの一つとカウントして, その分, 興味関心や優先度が下がっているという事情が大きいのだと思う. 加えてメディアミックスに関しては, 間口を広げると言うか, 新規顧客の開拓という目的があり, それはそのまま客側にとっても需要にマッチしているが, この手のコラボイベントはそういう効果は(零ではないのだろうが)あまり期待できないし, 我々も一体何を求めればよいのかよくわからなかった.

 そういう事情もあって, コラボイベントというのは今まで興味関心が無かったのだが, 「アイギス」はそもそもこういう展開やイベント自体の頻度が低いので, 普段は優先順位が低いコラボイベントでも関心は相対的に高くなる. 流石にそのために東京まで出張る気は無かったが, 東京に出張できたので少し足を延ばしてみた. 

 結果はお目当ても入手できたし, カレーも普通に食べられたし(大体この手のメニューは味の方はお察しのことが多いと思うが, 恐らくは比較的まともだったように思う), 特に不満は無かった. というより, そもそもそれ以上のことは期待していなかったのだが, 思いがけない副産物として, 確かにアイギスが「いつものゲーム」を越えて, より現実に近くなった(日常に近づいた)気がした. これは単純に店の前に置いてあった水着リンネ(現場に行ってみて初めて気が付いたけど, よく見ると大分際どい)と水着サナラお姉ちゃんの等身大(?)パネルやポスターがあっただけなのだが,

「高々この程度でも, いつもと違う出力形式で触れる機会を作ることは意味がある」

ということがわかったのは, 意外な収穫であった(そうでなければいくら10周年とはいえ, 運営もこんなことをやらないだろう). 

 つまり

「Aという出力形式で, 出力を1から2に変えるよりも, 状況によってはBという別の出力形式で0を1にする方が効果がある」

ということである. ただし, ここで言う「効果」とは対象となるものをより身近に感じるというか, 実在性を高めるという意味で捉えている. 

 これはコラボ云々だけでなく, より広義にメディアミックスに関しても, 単にビジネスライクな事情(もちろんそれもあるが)だけでなく, こういう事情もあるのだろう(実際, それはビジネスライクにもアドバンテージになる). たとえば, 元は小説でも, 音声, 漫画, アニメ, ドラマ, 映画, 舞台等で出力形式を変え(手変え品変え), 諸々で展開するのも, 前提としてそれらに関しての需要があるからである. それらを追っかける人も, 追っかける度にその対象の実在をより感じるのだろう. もしかしたら, 逆に何某かの実在を感じたいがために, 定期的にそうしたコラボだの, イベントだのを摂取することが必要な, ある種の中毒的な人もいるのかもしれない(それも一定数). 

 まぁ, これは業界では「常識」だし, 改めて言うまでも無いことであるが, 今回思ったのは, 

「メディアミックスだの, ビジネスライクだのとは無関係のモノに関してもこういうことは意識した方がいい」

ということである. 形式に関しても「音声一つ」しかなかったとしても, ドラマCDか, 落語か, 漫談か, 解説等々での出力形式で毛色も変わり, それにより, ある種のフィクションや非実在的対象の実在性をより効果的に感じるのだろう. 

 逆に実在性の方から論じるならば, 抽象的なモノや非実在的なモノの実在性というものは,

「多様な出力形式のパッチにより浮かび上がる image そのもの」

なのかもしれない. こう考えれば, パッチが一枚だけよりも複数枚あると実在性を感じるのもアタリマエなことになる. むしろ実在性をある程度担保するために, 単一の出力形式のみに注力するのは危険で, 必然的に複数の出力形式が必要になるということなのだろう. 

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