No.6 「イニシエノウタ」評 --「名曲」を巡る一つの考察として--

以下NieR:Replicant ver1.22...発売時の4月22日(木)の日記より抜粋し, コピペ(修正加筆済). 

Dedicated to NieR 10th anniversary, NieR:Replicant ver1.22... release, and our great maestro K. Okabe and songstress E. Evans. (22/4/2021) 

 名曲を「名曲」たらしめる条件は何であろうか? それは「かなしみ」だと思う. そも音楽とは, 論理やレトリックでは捉えられないもの, すなわち「言葉にできないもの」(たとえば「人のおもい」こそがその最たるものであるが) を捉える形式, あるいは表現するための1 つの技法 (art) であったのだ.

 では「言葉にできない」ような「人のおもい」とはどんなものであろうか. それは圧倒的に「いきどおり」, そしてその奥にある「かなしみ」である. なぜならばこの世は往々にして「言葉にできないよろこび」よりも「言葉にできないかなしみ」に満ちているからである. 事実, 人はあまりに矮小であり, 理不尽な現実, 逃れようのない宿命を前に人はしばし人の象徴たる言葉さえも失ってしまう. そして

『そんな言葉を失うかなしみの中で人がそれでも何を成しえるか, 如何に在れるか』

という問いに対する「なにかのこたえ」を与えるような音楽こそが「名曲」の必要条件である. ゆえに「名曲」とは, 須らく「かなしみ」を秘めていなければならない.

 実際, 世にある多くの名曲がこの条件に該当すると思うが, その中でも一風変わった, 同時にある意味まさしくその典型例ともいえる「名曲」が今回取り上げる NieR:Replicant/Gestalt のテーマ曲ともいうべき名曲「イニシエノウタ/運命」である(私は1秒も見ていないが, 伝え聞くところによると先日の東京五輪の開会式でも使用されたらしい). 

 この曲の最大の特徴は, そのdrastic な旋律も然りながら, 正にそのウタにこそある. このウタは歌い手のEmi Evansが「イニシエノウタ」のために複数の言語を混ぜて作り上げた人造言語で歌い上げられており, 何語でもない(実際に語学が堪能な知り合いに聴いてもらった時に「日本語にも, フランス語にも, ロシア語にも, 英語にも聴こえてかつどれでもない不思議なウタ」という評をもらったことがある). 

 遠い未来になり, 失われ忘れ去られてしまった言葉, もはや何語でもなくなってしまった言葉. そんな正に「言葉を失う」ような悲劇的, 終末的世界を「何語でもない失われた言葉」で謳い上げたウタがこの「イニシエノウタ」なのである. ゆえにこのウタは必然的に「かなしみ」を秘め, 根源的に「名曲」にならざるを得ない.

 「イニシエノウタ」に限らず「NieR」の多くの曲はEmi Evans のウタになっており, 様々な「かなしみ」を秘めた「名曲」群である. 「かなしみ」の一点でのみ論じるのであれば, かの「魔王」(「荒城の月」のようにも聞こえる「たとえようのないかなしみのウタ」)のように, 「イニシエノウタ」以上の曲もある. 

 しかし「名曲」とは「かなしみ」を秘めるのみではなく, 

『言葉を失うかなしみの中で人がそれでも何を成しえるか, 如何に在れるか』

という問いへの「なにかのこたえ」もまた与えなければならない. その意味において, やはり「NieR」における一番の「名曲」はこの「イニシエノウタ」であろうと思う. 

 ただその「なにかのこたえ」が何であるかはもはや言葉にはできない. 我々が言えるのはただ

『言葉を失うかなしみの中での, 雄雄しくも儚く, 愚かしくも愛おしく, 優しくも寂しく, 醜くも美しきヒトの在り様. それを表現するためにこの「名曲」がある』

ということのみなのである.

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