No.118 話すときに心掛けていること
私は人前で話す機会がそれなりにある. その聴衆もいわゆる仕事仲間, 業界人だけでなく, 素人もしくは素人に毛が生えたような人達まで幅広い. 一応, 話す機会ごとに聴衆のカテゴリーが違うので, その点は割と助かっている. もしこれが全て一緒くたにされてしまったら, 話す方も聴く方も「地獄」であろう.
ただ聴衆のカテゴリーに依らず, 共通に心掛けていることもある. それは
「万人が少なくとも一つは得るところがあるように話す」
ということである. つまり, 今日初めてその話を聴く人でも, その話を百回聴いた人でも, 話のどこかで何かしら得るものがあるように(あるいは「面白い」と思えるように) topics や話し方を工夫するのである. これは一見両立しないようにも思えるが, 幸か不幸か存外そうでもないことが多いように思う. 何しろ「少なくとも一つ」なのだ. 一つだけでイイのであれば, 頑張ればどうにかなる.
そして逆に自分が人の話を聴く立場になればわかることだが, 人の話というのは大体よくわからない. この辺は少し前に無名人インタビュー
https://note.com/unknowninterview/n/n93b995b17a25
でも語ったことでもあるが, そこで述べなかったことでいうと, 人の話というものは
「何か一つでも得るところがあれば十分」
と思うべきなのである. 逆に話す側になった時は, この「何か一つ」を色々な形で仕込むことを心がける. 特にその仕込み方が聴衆の各 layer (大体初級, 中級, 上級の3つで, 状況によっては更にその上)ごとに刺さるようにセットする. 同じ topic であったとしても layer ごとに刺さり方は違うので, そこは工夫の余地が色々ある. 実際, その辺の微妙な塩梅は本やネットを観てもなかなか書いてないし, また自分で考えてもなかなかたどり着けず, ある程度馴染みのある人に適切な advice を受けないとわからない. ある意味で「人」の独壇場なのであり, AI隆盛期においてさえそうであり続けるだろう. ただ拘りだすとそれはそれで大変なので, 時間とか聴衆の程度とかで適当に縛らないといつまでも事前準備が完了しない. だから聴衆が限定されるというのも悪くないというか, むしろ必要なことなのである.
以上述べたことのように「万人が少なくとも一つは得るところがあるように話す」こと以外に(あるいはそれと関連することとして),
「story を考える」
ということもあるが, これはある意味「話す」ということを超えたもう少し普遍的な philosophy だと思うので, 詳述はまた別の機会にしたい.
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