No.115 「寝かせる」楽しみ

 少し前の「無名人インタビュー」

でも述べたように, 30を過ぎたあたりから「10年ぶり」を, 少し言い方を変えれば「寝かせる」楽しみを覚えた. 正直,「ワインを寝かせるとうまくなる」というのは未だによくわからないが, 自分自身の趣味趣向, あるいは嗜好や思考を「寝かせる」ということの面白さや楽しみ方に関しては, それ自身がある種「病み付き」になってきた感がある. ともかくある事象に対し, 10年前にはわからなかった楽しみ方や面白さに気付く, それだけで非常に幸せな気持ちになれるのだ. 

 個人的には, ある事象が歴史として評価, あるいは認識するには20年は必要だと考えているが, それがより狭義に個人の範疇に限ってはそれが10年程度で始まるということなのだろうか. いや, それは正確ではあるまい. 恐らく私はまだ20年を振り返るということができないのだ. だからはそれは40代以降の楽しみにとっておくとして, ある意味その前段として, 30代で「(10年)寝かせる」ということに嗜んでいるというのが, 実際のような気がする. 

 やはり「本当に良い物」を味わうには, ある程度の年月をかけて(正に折に触れて), 何度も反芻して味わう必要があるのだと思う. 要するに一度で咀嚼, 消化しきるのが難しく, それは仕事でも, 趣味でも何でもそうなのであろう(逆に一度で咀嚼できてしまうものは, 大したものではないのだ). 尤も, 忙しない世の中だから, 仕事でも趣味でもそんな余裕がない人で溢れている. ヘタすれば文字通り「倍速」で過ぎていく輩さえいる. そんな様だから「寝かせて10年後に味わう」なんてのは, 酷く贅沢な「趣味」と言えよう.

 というより「嗜む」というのは正にこういうことなのであって, それがわからぬ輩が多くなったのは, それが時代の流れとはいえ, 確かである. 実につまらんし, 嘆かわしいことだと思うが, かくいう私自身もコレがいつまでできるのかはわからない. 色々なモノに対する執着を失った私が, あるいはその欲求さえも無くなってしまったら, それが「私が終わる時」なのかもしれない. ただ, それはそれで悪くはないと思う. 

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