No.23 16Personalities性格診断をやってみて

今日(昨日)の深層組「おじょるる」配信で16Personalities性格診断なるもの

https://www.16personalities.com/ja

をやっていたのでとりあえず一緒にやってみた. 100問(合ってる?)の問をあまり深く考えず, サッ, サッと答えて出た結果は

意識:外向型56%(内向型44%?)
エネルギー:直感型77%(現実型23%?)
気質:道理型64%(論理型36%?)
戦術:探索型64%(計画型36%?)
アイデンティティ:自己主張型57%(慎重型43%?)

広報運動家型 ENFP-A

との診断結果だった. 

 「広報運動家」という寡聞にして知らない診断結果が出て正直反応に困ったが, 解説を読んでみると中々面白かった(放送で診断していた``生返るるる''もこの型であり, 深層組の中では彼女と一番性格が近そうに感じていたので, そういう意味でも得心がいって面白かった). 

 たとえば解説に出てきた


広報運動家型の人達は、持ち前の想像力を発揮できるきっかけを見つけたら、それにエネルギーを注ぎます。
これによって、皆から注目され、リーダーや第一人者として称えられることが度々ありますが、独立独歩を好む広報運動家型の人達が、こうした状況を常に望んでいるとは限りません。指導者になったために、管理業務や日常メンテナンス作業に追われている場合は、なおさらです。広報運動家型の人達の自尊心は、独創的な解決方法を見い出せる能力により支えられているので、自由に改革できる環境が必要なのです。退屈な役割を割り当てられると、すぐに忍耐を失うか、意気消沈します。

はほぼ完璧に当てはまっていると思う(ただし, 他の型の解説との比較を行っていないので, この「広報運動家型」以外にも当てはまる型が存在している可能性はある). 

 中でも興味深かった記述は


人生をあらゆるものが繋がり合う大きく複雑なパズルとして見ていますが、そのパズルを一連の体系的な目論見と捉える「分析家」とは異なり、感情や思いやりの心を通して神秘主義的な観点から見つめ、常により深い意味を追求しています。

である. 

 これは設問を勢い任せで答えていった中でも感じたことなのだが, これらの設問は理性的知性的な問と情緒的感情的な問とがある程度交互に並んでいる印象を受け, 更にそれらに対する私の答え方の振れ幅も結構大きかったように思う. つまり, 理性的知性的な問についてはそれらの傾向が強いとの解答をし, ある意味それと真逆とも思われる情緒的感情的な問に対してもそれらの傾向が強いと解答したのである. だから「分析家」に近い傾向を示しながらも, それとは異なる「神秘主義的な観点」を持つという診断は個人的には頷けるところが大いにあった. 

 この辺りの事情は, もっと実際的には以下のような事情の反映であろうと思われる. 私は, 他人には論理型, 分析型とみなされることが多いようだが, 実はその真逆なタイプの人間である(そしてそれに気付いている知り合いは恐らく殆どいない). それなのに厳格なる論理家, 分析家であろうと意識して振舞っているのにはワケがある. それは私がある種の「奇跡」や「神秘」に対する信仰者であるからだ. 

 「奇跡」や「神秘」とは, 論理, 分析の極致を以てしても否定しきれぬ境地に至って, 初めてその「存在」を感知しうる「対象」である. 私はその「存在」を信じたい(それが私の「信仰」である). そしてその「存在」を信じたいがゆえに, 常にその「存在」を疑い, 否定してかからねばならない哀しき宿業を負う(つまり私は「敬虔な信者」などではなく, 業深き「咎人」なのであろう. 何せ「愉悦部」なのだから). その論理と分析による疑義と否定の過程を経て初めて, 「奇跡」や「神秘」の「存在」のようなものをかろうじて信じられる気がしなくもない. 逆にその過程を経ないものは絶対に信じられないのである(また奇跡や神秘の大盤振る舞いをする輩は文字通り蛇蝎の如く忌み嫌う). 

 すなわち私にとって「論理」も「分析」も, その「信仰」の為の一つの過程ないし過程における一つの(しかし極めて重要で本質的な)「手段」であり, 本当に望むものは「その先」のものなのだ. 

 そして冷静に「分析」すれば, 

正にこうした「思想」こそが「神秘主義的な観点」そのものではないか

とも気付かされることになる. 

 更に「分析」をすすめ, 

私が望む「奇跡」, 「神秘」とはそも何であるか

ということを問い直せば, それは

諸々の「事象」や「対象」についての「価値」あるいは「存在理由」

ということになる. つまり私は

「世界」とその「在り様」に, そして我々の「生」とその「営み」に, 「価値」がある, 「意味」がある

と誰よりも信じたいのだ(そのためのファッションとしての``nihilism'', そして``超人''の「方便」として「論理」と「分析」がある). 

 この辺は件の「広報運動家型」の解説にもあった


誰もが時間をかけて自分の感情に気づき表現すべきだと信じていて、

にも通じるものがあり, そういう意味でもこの分析は中々に正鵠を得ているように思えた. 

 そんなこんなで, 今日もまた深層組に導かれ, 文字通り世界の深淵(?)へと誘われてしまった. これはそんな一視聴者のある日の記録であった. 

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