シブヤ遊び場物語⑤つかんだもののおおきさにおののく

渋あそ創立メンバー"うーちゃん"による渋谷の遊び場誕生の物語です!

まさか、まさかのおはなしが進んでいきました。 頭は、ポーっとしています。もちろんどこかで雲やら霧がかかっています。心臓はバクバク。 コレって、ウッカリハチベイのしでかした帳、最大の大事件?! みんなの税金を使って、やる事?と、今更ながらに小区民は考えた。いや考えてみた。 結論は、やることでした。  
現区長が区議として1年目の事でした。見学に来てくださり、"こんなことを地域のおばちゃんたちがボランティアでやってるの?!"とびっくりさせたのがそもそもの始まりでした。"おばちゃんをあなどったらいかんぜよ!"と、居場所作りの話やら、何やらかにやら、子どもたちが自由に遊べる所がどれだけないかを伝えました。  

子どもは一旦、進学や、就職のために、家や地域から離れる事がありますが、現区長もその1人だったようです。お話を聞いたときは、自分が育ったところで、何かしたい、地域のためにどんなことが必要なのか、いろいろ考えているとおっしゃっていた。若いのにえらいなあと思いました。それもそうだが揃いも揃ったり、行政の各所におられる方々が、新しいものを求めている姿がありました。可能性の連鎖が、2003年に集結しました。新区長、新区議、新行政の役職に就かれた方々が、皆さん協力してくださいました。スポーツセンターの片隅で年3回開催しているしがないボランティアグループのところへ、わざわざ遠回りをしてのぞくようにしてくれたり、何かにかこつけて、足を運んでくださるように、計らってくださいました。人と人が繋がっていた良き時代だったのでしょうか。ありがたかったです。子育てをしながら、PTA活動や、地域のボランティアなどをして顔繋ぎをしていたおかげでしょうか。なにが幸となるか、頭が悪いのが幸いして、考えや、気持ちでしか伝えることができなかったのがかえって真に大切なことと受け止めていただいたのかしらと思いました。

で、戻りますが、それからですよね。まあ大変!!この話受ける受けないから議論は始まるのですから、侃侃諤諤の日々は止まらない。一時は家庭崩壊になりそうになりながらも、とにかく、個人の私財ではできないことがやれるんだ!今しかない!せっかくのチャンスみんなで子どもたちのためにやろう!やろう!と、必死に説得しました。のちに、だまくらかされたわ!と、元セレブママが首にタオルを巻きながら汗びっしょりでサンダーかけながら言ってましたっけ。太陽の下の笑顔が素敵だったなあ!

 名前を決めたり、予算を考えたり、どんなプレーパークにしたいか、デザインや、主旨文やプレーリーダーを見つける、から、今でいう、はるプレのブランディングデザインが落ち着くのに大変でございました。が、冒険遊び場作り遊びと言われるように、絵に描いた餅をどうこう話しているより、より具体的に子どもたちが、この遊び場を活用することで、どんな育ちが見えてくるのか、想像するだけでもワクワクが止まらない準備会が繰り広げられました。開園してからも、次から次へと、事件は現場で巻き起こり、そんなことを私たちは、誰かに任せないで一つ一つ考えていきました。はるプレのスタンダードができてきました。 あと2年で20周年を迎えるはるプレ。 思い出のシーンは数え切れません。

 その近年の1ページに10年はるプレを見守ってくれた、にゅうの卒業があります。 この10年でどれだけの子供たちが育ち巣立って行ったことでしょう。また、どれだけの遊具の物語があったことでしょう。そして、その思い出全ての中ににゅうがいました。 実は、ひらりも卒業します。みんな個性豊かで面白かったですね。 ありがとう!本当にありがとう!ということは、まっさらに近いはるプレの1ページがコレから開くということです。こうして、ずっと続いていく、作り続けているプレーパークなのです。 皆さんにも、子どもが育っても、 私たちの子どもたちのためにきっと何かできることがあるはずです。 一緒に子どもたちと、遊んだり、悩んだり、考えたり、していきましょうよ。 きっと楽しいはず! うけあいます。


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