シブヤ遊び場物語②ハトクジ


渋あそ副代表"うーちゃん"による渋谷の遊び場誕生の物語、【第2回 ハトクジ】です。はて、ハトクジとは…?


こんにちは!第一回目はどうでしたか?
ひと昔前?ふた昔前の千駄ヶ谷や原宿の風景にびっくりしましたか。のんびりとした街だったんですよ。アパレルはマンションメーカーと言われ、時々にオフィスの前に置かれたサンプルの段ボールに、原宿とか、神宮前って書いてあったものです。ブランドイメージがあったんでしょうね。それが今は、千駄ヶ谷、アパレルメーカー一斉セールをするようになったということです。便利になりました。遠くからもきてくれるようになったかもしれません。コロナ禍での苦肉の策かもしれません。昔のような、お使いついでにあら?!と宝物に遭遇した感は薄れているでしょうが、一度足を運んでみましょうね。と、前回の続きから、はじめます。

さて、代々木公園への冒険の旅は、地域の小児科医・毛利子来(もうり たねき)さんの主催する青空保育から始まりました。毛利先生は、母子だけの密室での子育てがどんなに健康まで害していくのかに気づき、その頃原宿にあった日本社会事業大学の学生を集めて子どもたちをリヤカーに乗せ、代々木公園まで連れて行っていました。
近くを通るバスに乗っている時、公園へ向かうそんな子どもたちに何度か遭遇しました。
なんだ!なんだ!なんだ!?!? 都会の真ん中に、まるで戦後すぐの時代の如く、頭から爪先まで汚れ放題の子どもたちが!! 一体どこからわいてきたの?!でもでも、眼を凝らしてみると、それぞれおしゃれで個性的な服を着ていたり。ま、どろどろですが。

とにかくなんとも不思議な光景…。
それから何年か経ち、ひょんなことから私もその会に参加しちゃいました。
やんちゃな3歳児たちと毎日遊んで、食べて、よく寝て…という暮らしが始まって間もなく、運営の仕方や方向性の違いから、会の中に暗雲が立ち込めよくわからない渦に巻き込まれていきました。結局、会は解散になってしましまいました。当時は、幼稚園も、保育園も、今よりもっとハードルが高くある意味仕方なく野外、自主ジプシー保育が始まりました。11人の子ども達に、保育専従者一人とお母さんが交代で当番に立つという体制でスタート。当時は保父さんという言葉さえなく、一緒にやっていこうとした人は、男性の職業として認められるよう一生懸命でした。今や男性も女性も関係なく保育士としてみなさん活躍されています。
その頃得たものは、預ける責任も、預かる責任も同じという事でした。人のせいにしないのは、プレーパークの文言と同じでした。
そんなこんなの集合は、朝9時、まだまだのんびりしていた原宿の駅前、○○ドーナツの小さな売店前。ここはいつでも鳩がい〜っぱい!なぜなら、ドーナツ屋さんの朝イチの仕事が鳩に売れ残りをばらまいていた場所だったからです。たまに、一緒についばんでいたリュックを背負った小鳩?がいたっけ。

ということで、今回もまだ代々木公園の冒険の旅には辿り着けませんでした。
次回ではいよいよわけいってみますね!
乞うご期待。(つづく)

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