不安との闘い方
いつも何かが不安だと思っている人は多いんじゃないでしょうか。
かくいう私も、常に何かを不安に感じています。
子どもの頃から自分を心配性だと思っていましたが、大人になっていろいろなことに責任を持つようになると、心配性なためにとてもしんどく感じます。
人間も動物として、命を守るため様々なことに警戒する仕組みがあるそうです。
狩猟採集時代では、常に猛獣に襲われる危険があったり、毒のある植物を触ったり食べたりする危険があったのだと思います。(その時代に生きたことはありませんが)
現代の我々も、狩猟採集時代と脳の仕組みは大きく変わってないようで、今でも様々なことに警戒する仕組みがあるのでしょう。
しかし、日常生活で猛獣に襲われる危険や、うっかり毒のある植物を食べてしまうことはほどんどないと思います。そのため、現代の人間社会では、命を守るはずのための警戒心が弊害になってしまいます。
しかも、狩猟採集時代の警戒は「猛獣に襲われる」とか「毒のある植物を食べてしまう」のようにはっきりとしたものですが、現代の不安ははっきりするものもあれば、妙にぼんやりとしたものなど様々です。はっきりした不安は何かしら解決する方法がありますが、ぼんやりとした不安はなかなか解決する方法が見つからず、むしろ狩猟採集時代よりしんどいんじゃないでしょうか。(その時代に生きたことはありませんが)
私もほんの小さなことでぼんやりとした不安になり、何度も何度も頭の中で繰り返し考えてしまいます。きっと、"大丈夫"という保証がほしいのだと思います。しかし、いくら考えても保証などありません。ぼんやりとした不安ですから。わかってはいるのですが、それでも考えてしまいます。"保証"はなくても、せめて自分の中で"安心"するために。
世の中には様々な不安に対する考え方を教えてくれる本があります。私もいくつか読んでみました。確かにいろいろな考え方があり、参考になりました。しかし、結局は自分の考え方次第だと思いました。
そこで、私もいろいろ考えた結果、私なりの考え方を持つことにしたので、ここに書いてみようと思います。
私の考え方ですので、この考え方が正しいとか、他の方にも同じ考え方をしてほしいとは思っていません。ただ、私の考え方をひとつの考え方として知っていただければと思います。
まず、警戒してしまう気持ちを重要度に分けました。
不安:常に頭にぼんやりと浮かんでくる気持ち
(例)昨晩食べたお肉、もしかしたら生焼けだったかも…(特にお腹は痛くない)
恐怖:このあと起こるかもしれない悪いことに、体がこわばるような気持ち
(例)暗闇で自分の前から歩いてくる人、動きが怪しい…強盗とか通り魔かも…
危険:はっきりと起こり得るリスク
(例)子どもが道路に飛び出しそう
重要度の低い方から順に並べると
不安 → 恐怖 → 危険
となります。
これらは数値で表すことはできないので、それぞれの分類は自己評価によるものです。
自分の中に不安な気持ちが浮かんできたら、瞬時にこれらに分類します。
そして、それぞれ以下のようにします。
不安 → 反応しない
恐怖 → 悪いことが起こる確率が自己評価で50%を超える場合は反応する
危険 → 反応する
この考え方をするようになった背景(自分への問いかけ)を以下に箇条書きで示します。
・これまでの人生で、「不安」に思ったことで実際に人生が狂うほどの悪いことが起こったことはある?
・これまでの人生で最も不安だったことは?
・その不安を超える不安はこの先ある?
以上のような考え方を整理したことにより、今は結構気楽になっています。
私は「物事をはっきり定めて、そのとおりに動きたい」という性格だからこそ、考え方を定めた効果があったのかなと思っています。
考え方のひとつとして書かせていただきました。
お読みいただきありがとうございました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?