見出し画像

人間生活のテンポが良かった日(日記:2022/04/03)

今日のこと

僕は持ち物が多いから、よくモノが溢れてしまう。
先日もデスクに付属している稼働棚の中身を整理していたら、途中でこと切れて床にものを散乱させてしまった。しかもあろうことか、1-2週間そのままだった。言い訳するなら、何もやる気が起きなかったから…くらいしか思いつかない。

それはそれとして、今日はなんだか、変わるきっかけを作れる日な気がした。だから、「やろう」と思っていただけで止まっていた彼是を進める日にすることにした。

まずは床に散乱していたものを分類し、整頓する。ついでに、押し入れの中身も引っ張り出してきて明らかにゴミなものを捨て、溢れてしまったモノたちを分類し、カゴに入れなおしていく。
ホコリをハンディワイパーで拭き取る。本棚の中身をよく読むものやこれから読むものを中心に並び替える。そして、気になっていたこんまい部分の掃除をこなしていく。
…1-2時間の作業で、みるみるうちに家が綺麗になっていった。

この家に越してきてから、『床にものを置きっぱなしにしない』ということに気にかけてきた。けれど、ここ数か月はかなり酷い有様だったと思う。
けれど今日、少しまた片付いて、大分すっきりしたし、なんだか活力も湧いた気がした。こうやって、リセットしていくのも大事なんだろうな。


モノが捨てられない話

僕は、『断捨離』というものが苦手だ。ミニマリストには一生なれる気がしない。因みに『断捨離』という言葉は、一般語に見えて実は商標である。特に僕の苦手意識と関係あるわけではないけれど…。

それはそれとして、僕は本当に子供のころから変わらずモノを捨てることに恐怖と言っていいくらい、どうしても回避できない苦手意識がある。
大人になってから気が付いたその理由は、『モノに思い出を覚えてもらっている』からだ。

ちょっとカッコいい書き方をしてしまったけれど、これは別に特別なことではないと思う。単に、『そのモノを見たら、それをトリガーにその時の出来事を思い出す』というだけの話。
例えるならば、頭の中には沢山の…数えきれないほどの引き出しがあって、それぞれに取っ手が付いている。それらの取っ手には紐が結ばれており、たくさんの紐が僕の手に握られているのだ。何かをトリガーにして、僕はとある紐を引っ張る。そうすると、中に仕舞われた『思い出』が露わになる。『モノ』はどの紐を引っ張れば良いのかを示し、引き出しを開くための鍵でもあるのだろう。
それは多分、人間誰しもがやっているごく自然なことだと思う。

僕の場合、掃除をしていてモノを分類していると、モノを手に取ったときに、それを手に入れた経緯とか、一緒にいた人とか、何が起きたのだったかとか、そういうコトに思いを馳せてしまう。
思いを馳せる、ということは、僕単体ではその『思い出』を思い出すことができず、そのモノを手に取ったときに思い出せるようになっているのだと、克明に感じてしまう。
そうなると、僕がそのモノを捨ててしまえば、この『思い出』はもう思い出されることがないかもしれない。だから、安易にモノが捨てられなくなってしまうのだ。

物が捨てられない人へのアドバイスとして、「○○日or○か月以上使っていないのなら、それは捨てていい」という話を耳にする。
僕にとって、それは全く関係がない。なぜなら、思い出はいつ思い出しても良いものだから。なんなら、10年間目に触れていなくとも、10年後の自分がそれを手に取ったときに、また同じ思い出に浸ることができれば良いのでは、と。

そんなこんなで、僕は異様にモノを捨てることに恐怖を覚えてしまうし、苦手意識がいつまでもある。大人になったし、そして実家を出て暫く経った今、いい加減克服しなきゃな、とも思うのだった。


久しぶりに運動をした

久々にリングフィットアドベンチャーをした。一昨年の年末に手に入れて以来、去年の中頃まではきちんとほぼ毎日プレイしていた…のだけれど、いつの間にかやめてしまった。思えば、日記と同じような感じだったかもしれない。

今日は掃除をしてからというもの、今まで「やろう」と思っていたことに手を出そうという気持ちが湧いて出てきていた。ここで無理をしたらいけないのだろうけれど、やれるものはやっておこう、という精神が勝った。
大学を卒業してからというもの、大分自分に甘くなりすぎてしまったように感じる。ちょっとダルいから、という理由であれこれ後回しにするようになってしまった。リングフィットアドベンチャーもそうだし、日常のこまごまとしたことを―皿洗いとか、洗濯、日記、読書、色んな事だ―ギリギリになってから手を付けたり、付けなかったり。

久々にリングフィットアドベンチャーにログインすると、「前回から間が空きましたね」というようなことを言われてしまう。ちょっと恥ずかしかったけれど、久々にミブリさんと運動ができて、かなり楽しかった。運動そのものは大分キツくて、やっぱり筋肉が落ちたな、とは思ったけれど。

アドバイスにもある通り、一度付けた筋肉を戻すのは、ゼロから作る時より楽らしい。毎日は無理でも、少しずつやっていければいいな。


日記を付けなおした

ここ2日分くらい、箇条下書きのままだった。意図的に、無理をしないためにそうすることもあるけれど、この2日くらいはそのまま寝落ちてしまったからだった。

繰り返している通り、今日は珍しく活力があったから、しれっと編集しておくことにした。夜にその一日を振り返るのも楽しいけれど、2-3日前のことを思い出すのも、それはそれで奇怪で面白い。やっぱり最近は以前に比べて身の入った生活をしていないな、とは感じるけれど、まあ、いいか。


今日の1語

『惰眠』
だみん。字自体はあまり使わないけれど、かなり一般な語だからか読みに迷う人はあまり見かけない。コトバンクに依れば、

なまけねむること。のらくらして、日々を無為に暮らしていること。停滞して活気のないこと。

https://kotobank.jp/word/%E6%83%B0%E7%9C%A0-562985

らしい。まあ、意味も見ての通り、というところだろうか。
単純に人間が貪っていることもあるが、例えば「太平の惰眠を破る」というように、世の中がのほほんと平和であることを示すにも使われているようだ。

気力が湧かない日々を過ごしているから、割とこの『惰眠』を謳歌している日も多い。なんだか大学を卒業してから、『惰眠』を謳歌する代わりに色んなものを取りこぼしているような気がしてならない。モノづくりをはじめとする楽しいコトや人間関係、諸々。

無理ない範囲で、取り戻していこう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?