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合理だけを求めない時間の使い方

note163日目。
今日は、合理だけを求めない時間の使い方について。

私は2018年からコルクラボというコミュニティに所属している。
入会時は渡米のタイミングで、帰国後はコロナ、コロナ禍にニュージーランドに引っ越しでほぼオンラインだけで参加するメンバーだ。

コルクラボにはゲスト会という外部のゲストをお招きしてコルクラボ主宰のサディ(コルク代表で編集者の佐渡島庸平さん)との対談企画がある。
今日は今年初めてのゲスト会で、民俗学者の畑中章宏さんがゲストとして来てくださった。

ラボに入ったころはゲスト対談を聞くのが楽しみで、子どもを学校へ送ったあと、図書館に移動して(家に帰るまでの時間がもったいないと思っていたから)視聴していた。
帰国してからもイヤホンを耳に、家事や子どもの世話をしながら視聴していたのだが、いつからか夜の19-21時という子育て中の身には一番忙しい時間、というのを理由に、録画で1.5倍速くらいで見ればいいやと思うようになり、リアルタイムでの参加をしなくなった。
実際に、録画をみれば対談の内容は分かるし、話についていけないこともない。

でも今回、民俗学という今まで私が触れたことのない分野の方がゲストということで、とても興味がわいた。異文化生活をしている私にとって、民俗学というのは非常に興味深い分野だ。
今日も、やっぱり録画でいいかなーとも一瞬思ったのだが、リアルタイムで参加することを選択した。
対談を聞きながら、別のところでチャットをする文化がコルクラボにはある。久しぶりにそのチャットにも参加をした。
以前のオンラインなのに楽しいな~という感覚が蘇ってきた。

対談の中で、昔の人も現代人も合理を求めてはいるけれど、その求め方が違うということを畑中さんが話していた。
昔の人は迂回して、現代人は直線的に。

私はいつからか、直線的な合理を求める現代人的思考になっていたことに気づいた。だからリアルタイムでの参加をしていなかったことにも。
効率的ではない、一見無駄がありそうな時間をここ最近避けていたな、と改めて振り返って思った。

新しいことを始めたため、出来るだけ効率的に合理的に動こうとしがちで、ゆっくりとか迂回して、という発想になかなか慣れない状況ではあるが、今年はゆっくり、迂回する時間を定期的に作っていけるといいなと思う。

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