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内容のない手紙を書こう

まだ携帯も無ければネットもそんなに普及してない時代の話。小学生の時、同じクラスの女子たちの間で文通が流行っていた。可愛らしい便箋に、色とりどりのカラフルのペンで、「きょうは楽しかったね。またあそぼうね。」と書いてシールやメモ帳の紙を入れたりしていた。主な文通相手は前途のように、同じクラスの女子同士。稀に、違うクラスの女子や学年が上の先輩ともしていた。

今、思う。

それは、極限られた中でのコミュニティ間の小さな外交的なものであったなぁと。

中学生になる頃には、携帯を持ち始める人もちらほらいた。が、部活の先輩とは相変わらずルーズリーフ文通を続けていた。ルーズリーフ文通をしてた先輩とは中学を卒業してもそこそこ長くお付き合いがあった。

高校生になる時にはほぼみんなが携帯を持っていた。もちろん、周りに手紙を書く相手もいなかった。用件はメールで伝えられるから。ただ、高校1年生の時に大好きだった世界史の先生には、その先生が離任する日、職員室まで住所を聞きに行き、高校を卒業するまで文通が続いた。

大学生になると、みんなスマートフォンを持っていた。LINE、Twitter、Facebook、InstagramなどのSNSが主流になった。

携帯を開いて、テキストを打ち、電波に乗せて送ればものの数秒で相手に届く。そりゃ、手紙も書かなくなるわなぁ…と。

なぜ、こんなことをケニアの僻地で思っているのかと言うと、帰国が迫る中、ケニア在国中にとてもお世話になってこれからもずっと繋がりを持ち続けたいと思っている人に、最後、会えないからと手紙を書いた。いつぶりかも分からないぶりに。
緊急帰国なんて予想外だったので、便箋など持ち合わせてるはずもなく、ルーズリーフで代用する。これは中学生ぶり。

何を書いたらいいのか…文章を考えるのに2時間くらいかかった。そして、いざ書いていると、誤字をしまくって何枚も書き直した。手もブルブル震えた。やっと書き上げた1通の手紙。書き上げてみて、なんか、これって人ー人における大切な要素、結構詰まってるなって思った。時間と思考、想い…めちゃくちゃ詰まっとるやん!1枚のルーズリーフに、と。

日本だと住所書いてポストに入れれば、配達員の方が家まで届けてくれるけど、ケニアではそういう訳にはいかない。そのため、とりあえず本人に電話を入れ感謝とお礼を伝えた。諸々渡さなければならないものがあったので、その電話の終わり際に私の帰国後、所定の場所まで取りに来てもらうことをお願いした。その際に手紙を書いていることなど1言も言ってないけど、「じゃあ手紙取りに行くね」って言われて、思わず、え?手紙?とびっくりしてしまった。が、心の中でちゃんと書いてますよ!と思うのと同時に、ラブレターもちゃんと書いときますね♡と返事をした。そして、受け取ったら、また連絡するね!と会話をして電話を切った。(スワヒリ語も上達したものだ。)

いくらここがケニアだとしても、この時代の手紙の効力、どこまであるのか?もしかしたらメールで送った方が響くのかもしれないしそれは分からない。この先、縁が続くのかも分からない。どうか続いて欲しいと願って止まない。けど、こういう環境にいるからこそ、手紙というものを書いた今回。思った気持ちだけは大切に、そして忘れないでおこうとnoteに書き残す。

「手紙は、小さな外交的手段」

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