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「僕」は彼女の“100パーセントの男の子”にはなれなかった。

 去年の六月に発売されたものだし大変いまさら感があるのだけれど、なんと本には賞味期限も消費期限もないので、いまさら感になんて気づかないふりをして、カツセマサヒコさんの小説「明け方の若者たち」の感想文を投稿します。発売して軽く半年経ってるしさすがにネタバレしていいよね、ネタバレたっぷりです。

 とはいっても、あらゆる素敵なレビューはもうインターネットのそこかしこに転がっていると思うので、あくまでも感想文として、読みながら自分の中でおもったこと、おもい出したことなどをぽつぽつと。

 まず読み終えて真っ先に思ったのは「ああ、これがカツセマサヒコ式の“100パーセントの女の子”なのか」でした。(私の記憶が正しければ、)カツセさんは村上春樹さんの小説を愛読していたはずで、だから案外この「明け方~」のパーツの一部には、村上さんの「4月のある晴れた朝に100パ ーセントの女の子に出会うことについて」が組み込まれているのではないか、そうだったいいな、そうだったら私が嬉しいんだけどな、そういう読者結構いるんじゃないのかな……とまあ、それだけの話なのですが。(ちなみにこの「100パーセント~」関連の小説だと、三秋縋さんの「君の話」も本当に素敵な作品なので是非)

 リリース・パーティとかいうチャラついた響きの言葉に憧れを持っていた、若者にありがちな思考の主人公「僕」は、五月のある晴れた夜に(たぶん彼にとって)100パーセントの女の子と出会う。大振りなイヤリングがよく似合うショートヘアに、幅広の二重、低い鼻と小さな口の「彼女」を視界に入れた瞬間から、

僕には彼女だけが3D映画のようにくっきりと浮かび上がって、見え始めたのだった。

 この「くっきりと浮かび上がって、見え始めたのだった」の「、」が本当に憎い。きっとそれまでの「僕」に彼女は見えていなかったのだと思う。読みながら、あー、となりました。

 このあといろいろあって「僕」は深夜の公園で彼女と飲み交わすのですが、コンビニへの買い出しの帰り道でこんなシーンが出てくる。

数少ない街灯を過ぎるたび、二人の影がウニウニと伸びては薄くなって消えた。それを見て彼女が「なんか宇宙人みたい」と言った。「地球は慣れましたか?」「ややこしい星ですよね、いろいろと」少し疲れた声で返した彼女の横顔は、ヒトとは思えないほど綺麗だった。

 ああ、この子「そういう子」なんだな、というのが一発でわかる。そして『「そういう子」のことばかり好きになる男の人』は一定数いて、ここからは蛇足だが私は昔から【『「そういう子」のことばかり好きになる男の人』ばかりを好きになってしまう女】だった。だから私は「そういう子」を小説の中にえがくカツセさんのツイッターを前々からフォローしていたのだろうし、カツセさんのツイート内容にけらけら笑ってきたし、しんみりさせられたこともあったし、考えさせられたりもして、小説も発売前に予約したのだ(事情があって去年身体を派手に壊し、結局今日まで読み切れずにいたわけですが)。

 サブカル寄りで、演劇が好きで、邦ロックに詳しい彼女に、ページをめくるたび「僕」はずぶずぶとのめり込んでいく。読者として、傍観者として彼の行動をみていると、ああこれは悪いのめり込み方だなあと思えるのだけれど、仮に自分が「僕」の立場で、彼女のような人が目の前にいたら一定の距離感なんて絶対に取れないだろうな。そのぐらい、同性の目線からみても、彼女はとにかく魅力的な女性だった。案外このあとこっぴどくフラれちゃうのかな、なんて下卑た想像をしながらどんどんと捲っていくと、128ページ目に、考えもしなかった、とんでもない爆弾が落ちていた。

「いくら好きでも、相手が既婚者だったら、ハッピーエンドは望めねえよ」

 この一文のせいで、途端に前言を撤回しなければならなくなる。「同性の目線からみても、彼女はとにかく魅力的な女性」。これはあくまでも彼女が独身の女の子であるという思い込みから生まれたものだったからだ。既婚である、なんてとんでもない前提条件、こんな後半に出されましても。既婚でありながら年下の男とデートしたのか。その男とラブホテルで寝たのか。頻繁にLINEを交わして、連絡を取り合いまくって、何度もセックスをして、男が始めた一人暮らしで揃える家具に口を出し、マットレスの硬さで口論し、自分好みのソファを買わせ、旅行へ行き、そのくせ自分の部屋には一度も招いてやらなかったというのか。とんでもない女だな、という気持ちになってくる。

 序盤での彼女の描写を読みながら「こういう女の子になりたかったなあ」などと考えていたのが本当に馬鹿らしくなってくる。と同時、ここまで圧倒的な不快感を覚えさせてくれたヒロイン(でいいですよね)って、たぶん今まで読んできた小説でもそんなにないぞ、と気づいた。

 でも、おそらくそれは、彼女が本当に魅力的な女性としてこの作品の中で丁寧に描かれているからなのだと思う。この子はきっと、本当に、チャーミングで、聡明で、繊細だけど大胆で、素直ないい子なのだと思う。だからこそ彼女は「僕」の前ですら左手薬指の指輪を外さなかったのかもしれない。そういうしっかりとした輪郭を持った彼女だからこそ「僕」は彼女のことをここまで好きになったのかもしれない。

 この小説での、彼女の最後の科白は、

「それなのに、ごめんなさい」

 だった。本当に誠実で、嫌な女だな、と思った。

 そんな彼女と対照的に描かれていたのが、終盤ちょろっとだけ出てくる風俗嬢の「ミカ」だろう。巨乳で、背中に産毛一つない彼女は手慣れた様子で気乗りしない「僕」の性を処理する。現在昼間は古着屋の店員であること、前職が保育士であることなどをぺらぺらと喋りながら夜の職務を全うする。ミカとピロートークを交わしている最中、あるきっかけをもって「僕」の感情が爆発する。彼女への未練がとめどなく、吐瀉物のように溢れ出てくる「僕」は、ミカに抱き留められながら何十行にもなる言葉を連ねる。

 この話で一番まともなのはミカなんじゃないか、なんて思わせてくるぐらい、たった7ページだけの、ミカの登場シーンは魅力的だった。

「ねえ、好きな人、どんな人だった?」
「だいたいわかるの。そういうものなのですよ」
「そんなに、好きだったんだね」

「くっきりと浮かび上がって、見え始めたのだった」とは全く意味の違う「、」の使い方がザクザクと刺さる。

 この小説、何が一番つらかったかって、「おもう」が平仮名であることだった。おもう。おもった。おもえば。おもわなかったのは。「思う」なのか「想う」なのかをあやふやにされたまま物語は始まり、物語は終わってしまった。

 結局、彼女は「彼」のことを何パーセントくらいの何だと思っていたのだろう。まあ確実に何の関係もないのだろうけれど、本当に最後の最後、「僕」はスマートフォンで写真を撮る。

駅前の通りは空が開けていて、ピンク色に染まった宇宙は、今にも迫ってきそうだった。僕はスマホのカメラを起動して、画面内にその景色を収める。目の前の雄大さを九〇パーセント近くカットした平凡な写真が、写真フォルダに保存された。

 彼女の中で、「僕」は案外、90パーセントくらいの男の子だったのだろうか。あるいは彼女の中で夫こそが90パーセントの男の子であり、「僕」はその足りない10パーセントの埋め合わせに使われただけなのかもしれない。あくまでも私の妄想だけれど。私の「おもったこと」でしかないのだけれど。あー、面白かった。読んでよかった。

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 はじめてちゃんと本のレビューをした気がする。向いているのかよくわからなかったので二度とやらない気がする。100パーセントの話をしたかっただけでした。おしまい。

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