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コイの行方

読んでいた本に、こんな場面があった。
武士が庭の池で泳いでいる錦鯉をエイ! と杖で突き刺し、宙にかかげる。
……刀ではなく杖で、だ。
この武士は足を痛めているため、杖をついている。
使ったのは、その杖だ。
さらにごていねいに、「杖の先は特別にとがっているわけではない」と続いている。
この一文は、私のように「またまた~。このホラ吹き侍が!」などと突っ込みたがる読者への牽制だろう。
鍛え抜いた武士の腕前はこれほどすごいんですよ、と言いたいわけだ。
 
泳いでいる魚を杖で突き刺す。
どう考えても無理がある気がするけれど、「できるわけがない」なんて決めつけるのは、私が何代さかのぼっても、鉄のものといえば鋤や鍬しかもったことがなさそうな埼玉県出身者だからかもしれない。
室町時代には、こんなことは日常茶飯事だった可能性もある。
腕の立つ武士にかかれば、棒状のものはすべて刀や槍になり、気合一閃、あらゆるものをたたき切ったり突き刺したりすることができてしまうのだ。
世間には「名刺で割りばしをたたき割る」なんて芸をもつ人がいるが、彼らはおそらく、杖で魚を突き刺す技を身につけていた武士の末裔なのだろう。
 
それにしても、こんな武士が身近にいたら、危なっかしくてたまらない。
杖で泳ぐ魚を刺せるぐらいだから、鉛筆だってラップの芯だって長ねぎだって武器になるだろう。
気に入らないことがあったら手近なものでグサッとやられるかも……と思うと、箸やスプーンを持たせるのも物騒だ。
私がこんな侍と食事をすることになったら、お店はインド式のカレー屋さん一択だ。
 
 
杖と錦鯉のエピソードには、続きがある。
魚を仕留めた武士とその家の主人は、なんと杖にささった錦鯉を「鯉こく」にして酒の肴にするのだ。
うーん。また気になることが出てきた。
本には、杖で「緋鯉の腹」を刺したと書いてある。
太い杖が腹部を貫通してしまったのだとすると……。
そうだとすると……。
手間をかけて鯉こくにしても、食べるところはそれほどなかったのではないだろうか?
 
 
でもなあ。
歴史的な著名人の一代記を読んだ感想が、
「杖で鯉を突き刺し、それを鯉こくにする場面が印象に残りました!」
というのも、やや問題があるような気がする。
ちなみに、私が読んだのは剣豪小説ではない。
杖で鯉を刺すのは、秘術を身につけるための訓練でもなんでもないのだ。
さらにいえば、杖で鯉を刺した人物は主人公ではない。ただの脇役だ。
そしてもちろん、ふたりが食べた「鯉こく」は、赤味噌のように混沌とした時代を示唆したり、ぶつ切りにされた鯉のようにバラバラに引き離される家族を暗示したりするものではない。
ただの酒の肴だ。
 
作者が気の短い人だったら、私から読書の権利を剥奪したくなるだろうし、
血の気の多い人だったら私を切り捨てたくなるかもしれない。
自分を責めるタイプの人だったら自身の筆力に自信を失い、スランプに陥ってしまうことも考えられる。
心から申しわけないと思うけれど、これが私の限界だ。
小説家とは厳しい職業なのだ。
読者のレベルを選ぶことはできない、とあきらめてもらうしかない。


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