#74 会話の上手い人
会話のうまい人とそうでない人の決定的な差がどこにあるか、ようやくわかった。
安達裕哉さんの記事を紹介します。
最近、ある方とミーティングするにあたって1つ気づいたことがあった。
私が「話上手」だ、と思っていた方が、他の方と話すと「聞き上手」だったのだ。つまり彼は、使い分けていた。
彼は言った。
「「聞き上手」とか「話し上手」とかは、会話の一つの側面を切り取っただけで、本質はそこにはない」と言う。
「では、本質はどこにあるの?」と聴く。
「まず、よく言われる通り会話は「キャッチボール」だ。」
「それは知ってる。」
「では、キャッチボールが成立するための条件は?」
「うーむ……」
「例えば、野球をおぼえたての子供と、プロ野球選手の間でもキャッチボールは成立するよね。」
「まあね。」
「でもその時、プロ野球選手は手加減するだろう?」
「うん。」
「だから、会話ってどちらかが「手加減すること」が絶対に必要なんだよ。」
手加減……わかったような、わからないような表現だ。というが何を手加減すればよいのか。
「私の言っていることがわからない?」
「そうだね。」
「例えば、ある友達に自分の好きなゲームの話をするとしよう。自分は詳しいけど、相手はそのゲームをしたことがない。」
「よくあるね」
「なら自分は、相手がどこまでそれについて知っているのか、を確かめながら話を進めなくちゃならない。格闘ゲームなら、格闘ゲームをやったことがあるか、「コマンド」を理解しているか、格闘ゲームの面白さについて聞いたことがあるか、これらが「手加減」だ。これをしないと、相手はキョトンとしてしまうか、「よくわからない話だ」とおもいながら話を我慢して聞くだけになる。」
「なるほど。」
「だから、会話が面白いのは実は「同じ知識レベル」の人同士なんだよね。手加減しなくていいから。」
「……!」
「話していて、「つまらないな、この人の話」と感じるときは、知識レベルに隔たりがあるときだね。」
会話とはどちらかが「手加減すること」。
キャッチボールの考え方は非常にわかりやすい。
小学生相手にムキにはならない。むしろ目線を合わせ、出来るだけわかりやすい事例を使って話をする。だから会話が成立する。
わかっている人同士であれば抽象度の高い言葉だけでもわかりあえる。
手加減しなくてもいい、同じ知識レベルが面白い。
まずは相手がどの程度のレベルなのかをわかったうえで会話をする。このひとつの意識が会話上手への道であり、優しさだと思う。
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