令和時代の音楽活動を考える

令和時代の音楽活動を考える

皆さんこんにちは、シバっさんです。私は愛知県名古屋市にある音楽スクール「G-Life Music」で音楽講師をしておりますが、多くの生徒さん達を教える中で、皆さんある程度曲作りが出来るようになってきた時に、必ずぶち当たる壁がありあす。それは
「次にどうしたら良いのか?」という事。

音楽を学び始めた頃に「絶対にプロになろう」と決めている人は少ないもので、多くの方が、まずは「曲が作れる様になりたい」という目標で始めているのではないかと思います。
ですが、当然ながらその曲が作れる様になるという目標がある程度達成できた時、じゃあ「その曲をどうしたいのか?」「曲を作ってどうしたかったのか?」そんな疑問を持って然りなのではないかと思います。

選択肢は2択ではない

ほとんどの方はここで、
端的に「プロになるかアマチュアでいるか」の選択を、
心の中で何となくしてしまっている様に思います。

ですが、私はむしろ「プロとアマチュアの中間層」とも違う
言うなれば新しいクリエイター像があるのではないかと考えています。

例えばですが、プロとアマチュアの二択だけで分類すると
「お金を稼ぐか稼がないか」「有償なのか無償なのか」
そう言った金銭的な報酬が、発生するかしないかでしか考える事ができなくなってしまいますが
私が思う現代のクリエイター像は、もう少しフレキシブルであって良いのではないかと思います。

「セミプロ」とは違うポジション

プロとアマの中間と言うと「セミプロ」と言う言葉が思いつきますが、これは度合いの差であって、報酬発生するか否かの頻度や程度の問題でもあります。

では、このプロ・セミプロ・アマという、一元的な報酬体系でのカテゴリーでなない、令和時代のDTMerと呼ばれる音楽クリエイターは、いったい何を目指していけば良いのか?

「共有者の獲得」

これだけ価値観が多様化した現代に、その答えはいくつもありますが
上に挙げた「共有者の獲得」とは、言い換えれば
・ファンを獲得する
・仲間を見つける
・コミュニティを作る

であると言えますし、これを現代的に行っていく事が、新しい時代における価値観を作って行くために必要な要素ではないかと考えます。

もちろん、この様な活動は既に行われてきましたが、今までのアーティストは、ファンに対してほぼ一方通行の発信を行ってきました。

けれど、現代のクリエイターは
時に「発信者」であり、また同時に「受信者」でもある訳で
新しい時代のアーティスト像には
「発信」という概念よりも
「共有」という考え方の方が理に叶っているのではないかと思います。

観念論のようになってしまいましたが、これから世界の通信網は「5G」という新しい速度を手に入れ、さらに進化や変化を要求してくるはずで
だとしたら、我々音楽家もその変化に柔軟に対応して行きたいと思うもの。

お金を稼ぐだけではない、けれど趣味だけで終わらせる訳でもない、まだハッキリと姿の見えない令和のアーティスト像。
むしろ想像力を試されている様な気がして、臨むところではないかと思う次第でございます。

最後までご覧頂きありがとうございました。
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シバっさんtwitter @shibassan_dtm

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