「形無し」 と 「型破り」のはなし
何か飛び抜けたことをしている人が現れると、
「型破りだ!」
っていうじゃないですか。(ちょっと古い言葉かもしれないけど)
こういう人たちはいろんな業界に存在しているのだけど、
型破りな人たちの中にも
「長く生き残る人」 と 「一時の話題として過ぎ去る人」
がいるなぁと常々不思議に思っていた。
この違いはなんなんだろうというお話です。
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もちろんいろいろな要因があるだろうけど、すごく腑に落ちた言葉が
「形無し」と「型破り」
そもそも「型破り」っていうのは、「型」を修得した人が、その型から適切な距離感で逸脱すること。その「型」を習得していなくても常軌を逸した行動はできてしまうのだが、これはただの「形無し」なのだ。
では、何が違うのか。
これは僕の一意見だけど、
型を知っている人は
型から外す絶妙な「距離感」を常に意識している。
人間は新しいものを求める探究心がある反面、居心地のいい安定した場所がないと不安になる。奇抜で新しいことは一見とても面白いのだけど、心理的にそれは長くは続かない。
「型破り」な人は、観客や社会の心理的な変化を読み取って、型からの適切な距離感をコントロールできるのではないだろうか。
それで、この言葉は歌舞伎役者の方が言ったらしいのだけど、もう少し深く広く考えて、この「型」ってなんなんだろうと思った時に
型 = 学問
なのではないかと。先人たちが多大な苦労の果てに築き上げてきた知識・知見の集大成が「学問」であり、これはどんな分野においても「型」になりうるなと思いました。
僕たち若者、色々と「変革せよ!」とか「アップデートせよ!」とかすごく追い立てられる時代だけど、
表面的な知識で、上の世代に対するアンチテーゼ的なことをしても、それはただの形無し。学問を通して現状の「型」を、まずは尊敬の念を持って深く理解すること。そこから初めて、既存の型の何が足りていないのか、何が今の時代にあっていないのかが見えて、変革をするスタート地点に立てるのではないだろうか。
奇抜で目立っていることがかっこいいように取り上げられているけども、自分は自分の軸を信じて頑張ろうね。
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