率直に申し上げますと、そんなところ。(制作について)

つみかさねることができない

薄々気づいていたけど何度目かのダイエット挫折でいよいよだと思いました、配偶者にもう太りゆく己を受け入れるしかないのではないかと提案された、その提案はのんでたまるか

あと、相手、目の前の相手のために用意した自分の言葉をいつからかうまく外に出せない、以前は出せていた、その人の欲しい言葉と言うことではなくて真摯に考えて展示の感想やお礼が言えたと思う。いまはスッとでない、なんか出た言葉も嘘っぽくて泣きたくなる。

ドローイングは含めずなんだけど絵や漫画やその他でこういうものをつくりたい、こういう結末のもの仕上がりのものをつくりたいと作り始めると大抵頓挫し、仕上がりはダサイ、救いようがないほど拙い、それが自分と認めることはたいそうしんどくだから頓挫するんではないかと思う、もうね、もうほんとやんなっちゃう、大人ってもっとスマートと思ってた、どんどんダサくなってくのやばいよねわたしって何になっていってるんでしょうか

頭の中にうかぶ、アイディアなんて言葉はもったいない、うかぶものがある、浮かんだものはできるだけ形にしてあげないと、いけないと思う。思う最近とても思う。

うかんだものが形にならず頭に居座り救いようのない亡霊になるからです。更新されることなく凝り固まったそれは行き詰まった時に自分の出番ですよねとドヤ顔で出てくる。私はそのときとても行き詰まってるのでそのプレゼンに乗りそうになる。危ない。でも糠床の糠のように、いや糠漬けなんぞ作ったことはないけど、たとえば、定期的に混ぜてこねた「うかんだもの」はレベル上げされ「アイディア」に変身し、こねればこねるほど味が深まり世に出る、形になるチャンスが出てくる。通販で作り手さんたちの何かを買った時、ああ、浮かんだものよ君はこんな素敵な形にちゃんと成ったんだと思う。尊い。振り返って自分の作品はどうなのかと思うと、背景が真っ黒になります。大丈夫かな。不安定さが持ち味って、何歳までおk?

わたしの頭の中はいま糠床ではなくて、亡霊の溜まり場です。溜まりに溜まってこねるにもこねれず淀んだ中で小さな光みたいなのを虫網で捉えてこっそり持ち帰って消えないうちに描く、みたいな感じで、とても窮屈な感じがしている。まいかい描いたものできたものに、あああよかった光を逃しませんでしたという、亡霊たちが新参者の光ばかり捕まえてるとブーイングしてる気がする。どうしたもんか。


亡霊、増える前に駆除なり供養すべきでありました、脳よ、右手よ、ガッツよ、スケジュールよ、わたしよ。


捕まえる光ではなく、ぼんやり浮かんできたしんせんな亡霊になりかけのやつがいる

亡霊になり切る前に着手しようと思うこねてこねて形にするから、気が向いたら一緒に見届けて欲しいです。かしこ。

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