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「涙鉛筆」⑤

 受付で香典を渡す。台に『芳名帳』が置かれていた。ドキ。こうした和綴じの冊子に毛筆で記名するのは苦手だ。元々字が下手くそなうえ筆で書くことに慣れていない。達筆な人に挟まれみじめな思いをした経験は数知れない。おや、これは何だろう。筆ペンではなさそうだぞ。『涙鉛筆』とある。握りしめると不思議、ポタリと有名書道家のごとく鮮やかな墨跡で私の住所氏名が記されていた。
 やがて葬儀が始まりかけたとき棺桶の蓋が開き故人がむくりと起き上がった。
「皆さま本日はご来場有難うございます。先程の『涙鉛筆』のお使い心地は如何でしたか。頂戴いたしましたご厚志は長年の研究開発費に充てさせていただきます」
芳名帳は白紙に戻っていた。鉛筆のスイッチが頭上のプロジェクターにつながっていたのだ。世に言う『涙鉛筆事件』である。これをきっかけに筆記はさらに衰退した。

「そして涙ぐましく稽古に励んだおじいちゃんだけが、手書きができて書聖と呼ばれているんだね」

410文字

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