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失われた玄関

長男一家が十数年におよぶ転勤生活から戻ってまいります。今度の職場は宿舎もないということなので、私たちとここで同居するのが自然な流れなのでしょう。母屋の二階の二部屋、あとは茶の間ともうひと部屋を使えばいいし庭に離れだってあります。夫と私には座敷と台所の半分もあればよいのです。孫たちが三人もいてずいぶんとにぎやかに。年寄ふたりと犬一匹でのんびりとテレビを見て過ごしていたのが嘘のようです。長男の妻のあつ子は地方出身で、うちの娘たちとは違ってみた感じは地味だけれど性格は明るくて料理好き。カレーはインスタントでなくルーから作るのだとか。楽しみです。あの子たちはずっとここに住むことになるのでしょう。かりに夫が先にあの世あに行った場合など否応なくこの人たちと一緒に暮らすしかありません。まだ先の話でしょうけど。

この家にきて一カ月になるけど早くも嫌な雲が頭上に広がっているのを認めないわけにいかない。ママばかりがおばあちゃんに気を遣っているのをみるとこちらまで疲れてしまう。今まで自由に家事をしていたのに大根一本買うのもいちいち許可を得なければならないなんて。だいたいこの家は古すぎる。いくら銭湯が近くにあるとはいえ、いまどきお風呂場のない家なんて。クラスの友だちには言えない。パパがおじいちゃんに頼んで二世帯住宅に建て直せばいいのに。でもママに言わせるとパパは親に頭が上がらないタイプなのだとか。いつまでこんな窮屈な生活が続くのだろう。

ついにわが家も風呂場を造ることになりました。私の自慢の甥っ子に知り合いの大工を紹介してもらい、洗面所があった場所に風呂場を建てるのです。私たち夫婦はもちろんのこと長男一家も満足しているようです。ただ可哀そうなのはポチで、居場所であった洗面所を追われてしまったのです。あつ子が散歩させてくれていますが、本人は環境の変化に戸惑っているに違いありません。というのも、最近夫の体調があまり良くないので仕方がないのですけれど。もともと一人で静かに過ごす人でしたが最近では横になったきり一日じっとしていることさえあります。そうこうするうち、家の門を直してはどうか、という話がもち上がったのです。確かに古いのです。初めてここに来たのはあの大正の大地震の直後でしたから。長男はまだ赤ん坊でしたもの。きっとまたお風呂を建てた大工さんに相談するのでしょう。

どうして門なんか建て直すのだろう。いずれおじいちゃんが亡くなればこの土地はパパが相続して家だって改築することになるのだから、新しい門なんか邪魔なだけだとママもそう思っているみたいだ。パパの従弟のマモルおじさんの紹介でかなり立派な門ができた。田舎の人の感覚なので近所から見てもちょっと浮いているような感じがする。パパはおじいちゃんに親孝行が果たせておばあちゃんの顔も立てることができて嬉しいのかも知れない。不安をかんじる。この門のせいで家はずっと古いまんまなのでは。うちの両親は遠回りしてお金を無駄にするタイプのような気がする。

夫がとうとう他界してしまいました。口うるさく話の合わないところもあったけれど、こうなった以上私はもう一人きりなのだという覚悟でいなければ。この家に私の味方は誰もいません。この家は私のものなのです。だからこそ、いなくなればいいと思われている。あつ子の本心はわかっています。孫たちも可愛げのない子ばかり。あの門。長男が私たちのために建ててくれた門を壊さないと家は改築できない。そう言って夫は安心しておりました。でもどうでしょう。長男はもうマモルに相談せず大手の住宅メーカーの人を家に呼んでいるのです。何ていう名前だったか、よく耳にする会社だけど忘れてしまいました。私は最近怒りっぽくなったのでしょうか。どっちみち初めから好かれてはいなかったのです。「反対よ。ここを誰の家だと思っているの」「お母さん、昨日と言ってることが逆ですよ」「あら何ですって」私をだますつもり?

結局家は新しくなった。せっかくの門は壊された。おばあちゃんは新しくなった玄関から運び出された。何年かたって私は家を出た。何十年かたってまた戻ってきた。両親は立て続けに他界した。もうひとりっきり。あのときのおばあちゃんと同じ齢になった。夢のなか、あの古い家の座敷にみんながそろっている。楽しそうに笑いながら。「ありがとう。そろそろ帰りますね」立ち上がって玄関に向かう。でもそこに玄関はなかった。
(to-be小説工房 「玄関」応募作を一部修正しました)

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