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スキンヘッドのメリットとデメリット

繁華街で客引きをされなくなって久しい。特に一人の時。
髪型をスキンヘッドにしてから、明らかに避けられているのが分かる。
あんなにめんどくさかった「もう店決まってるんで」というやりとりは最後いつだっただろうか。愛おしいものは失って初めて気づくものである。
最近は携帯電話やウォーターサーバーの勧誘の人たちも声を掛けてくれない。今日もウォーターサーバーのイベントの前を通ったが、奴らはみんな下を向いた。心の中では「てめえら声かけろや!道開けてんじゃねーぞ!」と怒鳴り散らかしているのだが、実際怒鳴ってみると即警察のお世話になりそうなので控えている。この心の中の怒鳴りを汲み取ってくれる人がいたら、多分好きになる。
ウォーターサーバーは買わないけど。

声を掛けない理由は分かる。単純に怖いからだ。僕も前からスキンヘッドの人がいたらなるだけ避ける。めっちゃ怖い。できるだけ関わりたくない。
だが、この構図は少し面白い。多分相手も怖いと思っているからだ。スキンヘッドがお互いを避けあっている。誰も自分のことを客観視するのは難しい。その象徴的な事例として認めてもらいたいくらいである。蛇足だが、雨の降り始めに、頭皮が敏感であることを自認することができる。

そもそも僕だって剛毛だった時代があるのだ。茶髪パーマの時代だってあるのだ。ただ、二十歳を過ぎて少しづつ迫ってきた。おでこ砂漠が。そんな中でも僕は頑張った。バックオール的髪型を追求したり、前髪をミリ単位で調整したり、ワックスの付け方を研究したり。そんな中運命の日が訪れる。「お前、ハゲてるやろ?」昔の上司の言葉だ。本当にこういう人いるんだ、ほぉーん。とその時は軽く引いた。いや、軽くなかったと思う。「ダセーから坊主にしろ」との追い討ちまで。
確かに、雨にも風にも弱かった。いい機会だから6mmくらいの坊主にしてみた。定かではないが「なげーよ。」と言われた気がする。とはいえ、そっちの方が良いと言われ気を良くしたことも事実である。他の同僚や先輩からは、何があったん?という至極真っ当な声かけ。両家ともども薄毛で、とんでもない遺伝なんですと答えるも、えーはげてなかったじゃん、と。あれ?バレてなかったじゃん。上司のハゲセンサーが強過ぎたのだ。なんのための坊主だったん?あの時の坊主は何じゃったん?と藤井風が嘯く始末となった。この時は流石に上司を恨んだ。ともあれ、事故的に短髪となった。

しかし、この上司には感謝している。オープンハゲとなって明らかに得たものが多いのだ。ヘルメットを被っても髪型を気にしなくて良い。散髪代もかからないしシャンプーも使わなくて良い。SDGsを「体現」している。偉い人は見習ってほしい。サンプラザ中野くんのモノマネで盛り上げることができるし、こないだはスナック的な店で、頭を撫でられながら「ハゲも一緒に飲も❤️」と美女に誘われた。大変嬉しかったが、生来の人見知りを発揮し、スーパー確変チャンスは見逃し三振に終わった。そんなことよりコミュニケーションのネタが広がったことが一番だ。それも年代問わず。この国の人は年代問わず薄毛で笑う。僕としては嬉しい限りである。笑わないという配慮を感じる人もいる。そんな人は真面目な方なんだなあ、とそれはそれで好きになれる。世界平和のためにはスキンヘッドは必要要素となりうるのではないかと思う。

とはいえ、失って初めて気がつくことがある。それが前述の客引きに声を掛けられなくなることだ。あんなに不特定多数の人に声をかける人たちが、僕のことを空気だと思っているのだ。一瞬この世界には自分が存在していないのではないかと思うこととなる。込み上げる寂しさはそれだけに止まらない。家に帰ってもいい匂いのするシャンプーはない。もし買ったとしても匂いが髪に止まることはまずない。この世界からいい匂いのするシャンプーはなくなる。散髪に行くこともない。パーマや染髪もない。美容室がない。「すごい寝癖〜」というくだりもない。そもそも寝癖などつく訳がない。

それに気づいた時に、世界から一部が切り取られた感覚がしてすごく寂しくなるのだ。知らない世界を知ることの反対、知ってる世界がなくなるのだ。そんなこと普通あるか?ハゲは優しいと言われたりもするが、もし本当にそうならその寂しさを知っているからだと思う。

帰りにまた勧誘のイベントがあった。ティッシュを配っていた。みんなそのティッシュ配りも避けていたが、スタッフの方は僕にも差し伸べてくれた。僕はティッシュを受け取った。いつの頃からか、僕はティッシュを絶対に受け取る人になっている。
ウォーターサーバーは買わないが。


大好きです。