生きていると大なり小なり色んな困難がありますね。
新しい素晴らしいプロジェクトがはじまり、日々に没頭しているものの、 ふと目をあげてみると、いつもの通り沿いのお店が閉店をしていたり、 悲しいニュースが流れてきたり、なんだか自分がどこにいるのか狭間にいるような感覚もあり、未来から振り返ったときに、今ここは困難の真っただ中なのかもしれません。

「困難に打ち勝つ」と言葉にしてみましたが、
そういう強い気持ちを持っているというよりも、足元に線を引いて、  「ここからは下がらない」と決めるような、、負けない、というか、   くじけない、くじけきらないように、本当に折れてしまうことがないように、と、それを繰り返しているような感覚といった感じです。

この時代うねりの中だけに限ったことではなく、生きていると理不尽なことや辻褄の合わないことばかり。そんな中でも困難に打ち勝って、なんとか前進してゆくには、どうすればいいのか。
いつも通り答えを持っていない私ですが、今日は、これまでの私の「困難への対処のケーススタディ」を書いてみようと思います。


仮面時代

社会人になりたての頃は、とにかくよく傷ついて、落ち込むことが多い人でした。度重なるクライアントの変更によって影響を受けるパートナー会社さんの苦しみやクレーム、社内のポジショントーク、本質から離れて行く議論、立場を守るための発言、、、                   仕事とはまずもって「良いもの」をつくろう、という土壌に持って行くことが難しく、「良いもの」をつくるには様々な力が必要であると知りました。そしてチームやプロジェクトを守るにはその力が必要なのだと。     当時の私はそんな現実にふらふらと煽られて、仕事上の指摘や良いものが作れていない事実に自分の生身の心がずたずたに傷を負っていました。

そんな時、会社の先輩に言われた言葉、
「中原、目黒駅から会社までの間に東急ストアがあるでしょう。そこを通ったときにガラスウィンドウに自分がうつったら、そこで仮面をかぶるんだよ。仕事用の中原真理になるんだ。自分自身が傷つく必要はない。仕事上の自分が傷つくんだ。」
その方法は、逃げだったのかもしれません。問題を先送りにする日本的な方法だったのかも。その方法を一生続けていたら心のない仕事しかできなくなってしまう恐れもあります。ただ、何も出来ない弱い立場の私は、この言葉で何とか社会に馴染んでいったように思います。


丸腰で何も起こってくれるなと祈り続けた日々

その後、シバジムに入ることになりますが、プロジェクトの大きさや期待されていることに比べて自分の経験値の浅さや人間的な未熟さなどに、   長く心配症が続きました。                      一つ何かが起きると10の心配事が一気に見えるのが私です。       それでも「私は不安です」「できないかもしれません」という事は許されません、私はお金をいただいているプロなのですから。という訳で、抱える不安を見せないように、辛抱し続けた5年くらいでした。深夜答えのない企画書を書いていても何も出てこない、光明がちらりとも見えない日々。
何をしたかというと「何か恐ろしいことが起きませんように、どうか今日も無事に過ごせますように」と毎日祈るばかりです。プレゼンの日はいつも なんだか成功確率が高い星柄のパンツを履く。クロスのネックレスをする。などの自分神頼みルーティンがいくつかあって、そんなことに頼ったりと、小心者はそんな感じで何とか自分を鼓舞する日々でした。

(ちなみに、今は、その心配症が私の良い?部分だと思うことができるようになりました。何しろ心配症は、「あ!あれどうなったっけ」「そういえばあれも」「あの時の言い方変だったかな」「よしあの人に連絡をいれよう」「メールというより電話かな」「明日の会議の段取りどうしよう」「決めたいことがあるから事前にクライアントに相談しておこう」「ついでにあれも聞きたいけど、どうなったっけ」「あれが回答ないってことは・・・」と言った感じで、一人で脳内でパーティが起きています。
そんな私なので上司になると最悪で、端でみている後輩は私の脳内で何が起きているのかわからず四方八方に飛ぶ言動に困っていると思いますが、心配症が鍛錬されるとマルチタスクになるのかもしれないので、心配症の人は良きにとらえてもらえればと思います。)


柴田さんに「経験積めば大丈夫」と断言されてからもくもくとその時を待ち続ける

そんな日々に、柴田さんに相談をしました。「私、全てが不安なのですが大丈夫なのでしょうか」と。

柴田さんという人は、私が心臓ばくばくいって何十回も資料が鞄にはいっているか血眼で確認しているプレゼンに向かうタクシーの中「今日のクライアント日本橋だよね、ちょっとあそこのチョコレートやさん寄れないかなあ、なんだっけ、あのお店」とか言うんです。私の頭はパニックで、えっプレゼン前なのに!?え、チョコレート!?時間あるかなあ、チョコレート買ってその袋を陽気にぶら下げていっていいのかなあ、、、またたくまに心配事で埋め尽くされます。プレゼンが心配なのに心配追加しないでほしいものです。さらに「終わったらどこでランチする?」など私をかく乱するのです。
いや、かく乱しているのではなく柴田さんは相当に肝が据わっていて全くおろおろしないのです。挙動不審だったりはするのですが(逆方向に歩いて行ったり木にぶつかったり)。(でもプレゼンになるとばっちりだし。。。。)
そういう柴田さんについていて、私は自分のキャパが無理やりにでも大きくなっていったような感じがあります。キャパシティというのはメリメリと音がするように、時に苦しみながら広げて行くことで、次の道につながっているように思います。

話をもどしますと、私は何もかも心配で心配でどうしよう。小心者で大成しない。などぐちぐち相談しましたら、「大丈夫、私も20代はそうだった。それでいい、それが普通。むしろ心配症の方がいい、たくさん気付くことができる、傷つくことも多いけど、鈍感より敏感でいい。大丈夫、このまま素直なあなたで経験と実績を積んで、場数を踏めば、大丈夫になるから。私を信じて」
と言われました。
(柴田さんには、「私を信じてついてきてほしい」と、何回か言われたことがあり、その度にドキっとします。なんだか色んなものを預けられているような気がするし、その資格が自分にあるかと内省するし、そんな言葉を誰かに言えるだろうかと思うのです。)
そしてそれは本当にそうだったなあと実感します。場数をたくさん踏んで、私は少しづつ不安や困難に打ち勝つことができる自分の術を手に入れるようになりました。

ベストを尽くして、あとはリリースする

そうして36歳になった今の私は「ベストを尽くす。あとは忘れる(リリースする)」という方法を取得しました。心配症のころ、何が私を苦しめていたかというと、「変えられない未来も変えられる未来もごっちゃにしてまるごと憂う」ということでした。クライアントの決定、様々なルー、、、勿論自分の行動によって変わる未来はありますが、どうあがいたって変わらない未来もある。それをごっちゃにしているといつの日か「悲劇のヒロイン」みたいに苦しい、苦しい、とか、頑張っているのに、とか、なんかうざい感じになってしまうのです。変えられることに対してベストを尽くす、それでいい、変えられないことは悩まない。
あとは、リリースすること。不安なことが尾ひれのように脳内にぶら下がると、それだけで体が重くなるし、表情も暗くなるし、空気は斜陽になります。そんな人は誰も助けてくれません。
変えられる未来だけを建設的に思考して、どうしようもない部分は捨てる。諦めるというよりも、変えられる未来でどう切り拓くか、それを楽しめたら最高。
肝心なのは、正しくベストを尽くすことだと思います。
それはナルシスティックな、自分のためのものになっていないか。
自分の視点ではなく相手の視点に立った時にでも、正しいいといえるか。
本当に問題を良い方向に導いているか。
ベストを尽くす。そのベストは、縦に伸びていく。
そしてキャパシティが伸びていけば、私のベストは伸びてゆく。キャパシティは、お皿のような形をしていて、時に負荷をかけながら、メリメリと音を立てながら大きくなっていく。

また、どんどん忘れるための方法。
私は良く、脳内のTODOをメモに残しては脳内からひとつひとつ消去します。delateキーを押すイメージです、そうじゃないと頭の中が些末なことで埋め尽くされてしまうから。書いたら忘れる。そこからリリースの習慣はつくれる。どうにもならないことは忘れていい。成功も失敗も忘れる。変えられることは記憶するけど、何ももたらさない感傷は忘れる。
寝たら忘れる。明日は常に新しい一日として生きて行くことで困難を乗り越えてくことができるようになってきたように思います。

最後に、昔先輩が行ってくれた言葉を思い出しました。
「中原、それでも終わらなかった仕事はないよ。」
確かに、終わらなかった仕事はこれまでない。軟着陸でも、足くじきながら着陸でも、なぜか着地をしてきた。
だから大丈夫、とは言えないけれど、そう思おうぜということ。
そう思うことで不安から自由になって、より良い仕事をしようと思います。


長文を読んでいただき、ありがとうございました。皆さん、気ぜわしい日々が終わりませんね。どうか心身健やかでお過ごしください。
最近クライアントさんにも「note読んでます」と言っていただいて穴があったら入りたくて小さくなっているのですが、嬉しいです。いつも本当にありがとうございます。

中原真理

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