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「渡辺さんは豆まきしなくていい」って元ネタはどこ?

フォロワーさんが「渡辺さんが豆まきしなくていいって、どこの地域から出て来た風習だろう」と呟いていたので、「そういえばそうだなぁ」と思いネット上で5分ぐらいでサクーっと調べてみました。

ガチで調べようとしたら論文・文献だけでも膨大な量なので蓋然性については目をつぶっていただきたい。

なんで渡辺さんは豆まきしなくていいの?

まぁ、これは有名な話です。

全国の渡辺さんの先祖「渡辺綱」は、酒呑童子退治で有名な源頼光四天王の1人で、彼単体でも鬼退治をしています。

茨木童子の腕を切り落とし、その腕を保管していたのですが、茨木童子か彼の伯母に化けて腕を見せてもらい、それを奪って逃げた。という話です。

そんなこんなで、「渡辺綱は鬼に恐れられているので豆まきしなくていい」と言われています。

どこの地域の風習なのか

雑学好きには有名な話なんですが、はっきり「どこの地域の風習か」ってそういえば話題にならないなーっと思ってサクッとググってみたら、こんな記事がありました。

実際にこの風習を紹介した過去の文献を探してみたが、残念ながら見つけることはできなかった。

しょっぱなから結論出てた。調べてくれた先人に感謝。

このライターさんがどの文献を調べたかも知りたいけど、まぁガチ調査ではないので、ここはこの情報に感謝しつつ、これに倣って「文献は見つけられなかった」とします。

では元ネタはなんだったろうと調べると……こんな記事もあった。

渡辺さんと豆まきの関係

宮城県の姥ヶ懐(うばがふところ)という地域にこのような伝承があるみたいです。

京の朱雀大路の羅生門で、渡辺綱は鬼と格闘して右腕を切り落とす。しかし取り逃がしてしまったために、切り落とした腕を石の長持に保管して、諸国を回って鬼を探し求めた。そして辿り着いたのが姥ヶ懐という地でであった(一説では、ここが綱の故郷であるとされる)。

そしてこの地域の豆まきはこうです。

同地区の豆まきは、平安中期の武将、渡辺綱(わたなべのつな)の鬼退治が由来となっている。綱が切り落とした鬼の片腕を持って全国を行脚した際、姥ケ懐で叔母に化けた鬼に奪い返され、逃げられた。住民は綱の心情を思い、「鬼は外」との掛け声をやめたとされる。

これ、めっちゃくちゃ興味深くないですか?

他の地域でも「鬼も内!」と掛け声するところはあります。

鬼を祀っている神社や、「鬼」がつく地名や名字で、「鬼を外に追い出したらかわいそう……」みたいな感じなのに対し、

「鬼を逃がすな! 鬼も内!」と言っているのが、ものすごーく「摂津渡辺党~wwww」という感覚になりますw

というわけで

この話が伝言ゲーム的に伝わるうちに「渡辺さんは鬼は外と言わない」→「渡辺さんは豆まきしない」と変化してしまったのかもかも?

ちなみに「いつから」かというのも、また膨大な文献を調べなくてはいけないでしょう。

「鬼は外、福は内」という風習が先に広まって、「鬼も内」となるはずですから、とりあえずWikipediaの「節分」の項目にある記述

豆をまく際には掛け声をかける。室町時代の相国寺の僧侶、瑞渓周鳳の日記である『臥雲日件録』の文安4年(西暦1448年)12月22日の記述には「散熬豆因唱鬼外福内」とある[6]ように、掛け声は通常「鬼は外、福は内」である。

を、最古の記述とすれば、「姥ケ懐の渡辺さんが鬼も内と豆を撒く風習」は、ざっくり「室町以降」なんでしょうねぇ。

とまぁ、こんな風に5分あればこのくらいは調べられるので、こんなbosyuもしています。

30分ぐらいかけて調べますよ~

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