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阿弥陀仏はネットの声も聞いてくれるのだろうか

先日、クリスチャンの方と話す機会があり、その時に聞かれました。

「鎌倉の大仏って何のために建てられたの?」

これは結構難しい。造立開始は1252年ということは解ってますが当時の事情は不明な部分が多く、誰の作かもわかってないからです。

でも彼女は多分そういった事を聞きたいんじゃないと思います。

「えっと……鎌倉の大仏は阿弥陀如来なので民衆を救うため。この世に生きとし生ける全ての悩む者を救うために、大きな体で見渡せるように作られた……んだと思います」

「ふうん、でも結局それって、自分が救われたいってことよね? 念仏を唱えるのも、自分が救われたいからでしょ? キリスト教って自分のために祈ることってしないの。だから自分のために祈るってどういう感覚なのかしら?」

文化の違いを説明するのって、難しいですね……。

「昔の人は、生きることがとても苦しくて、将来の展望も明るくないんですよ。だから、せめて死んだ後は幸福な世界に行きたいと思い、極楽浄土に連れて行ってくれる阿弥陀如来を信仰したんですよ」

「ふぅん、あぁ、そう」

彼女は多分納得はしてくれたと思う。

でもそれって、現代人も同じですよね。「昔の人」とは言ったけど、SNSで「死にたい」と呟くのは「南無阿弥陀仏」と唱えるのと一緒かもしれない。

本質はきっと「苦しみから解放されたい」なのだから。

阿弥陀如来はこの世の全ての悩める人を救うため、48の誓いを立てました。その中の18番目の誓いがこんな感じのものです。

私の国(極楽浄土)に行けると心から信じ、私の名前を10回以上唱えたのに私の国に来ることができなかったら、私は「目覚めた者(仏陀)」と呼ばれる資格はない

というわけで、浄土宗や浄土真宗は「南無阿弥陀仏」と唱えれば極楽浄土に行けると説いたわけです。

もしネット上の「死にたい」が「南無阿弥陀仏」に変わったら、阿弥陀仏はこれを聞き届けてくれるだろうか。

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