「コンサートのあとのラケル」2022年5月14日の日記
・今日は学生時代に師事していた先生のリサイタルがあったので新宿に出た。
・事前に、一緒に行く友達と「何か先生に差し入れ買ってこう」と決めてたので、新宿駅の中で良いものを探した。
・先生が好きな猫が入ったハンドタオルにしました。
・プログラムの表紙の写真は、先生のお嬢さんが撮影されたもの。
・先生のお嬢さんは写真家で、昨年には都内で個展も開かれているのだけど、わたしたちもその個展に伺ったので、その時にお会いしたことがある。
・今回のリサイタルでは、ゴーベールの小品3曲に、お嬢さんが撮影された映像作品が投影されて、親子共演という試みも行われた。会場入り口にも大盤に印刷された作品も展示されていて、先生はリサイタルの中のトークで「親子共演というのはちょっと恥ずかしかったんですが……」とおっしゃっていたけど、こんなに幸せな空間は今時なかなか都内にないので、お客さんのわたしたちもずっと幸せな気持ちで客席にいた。
・リサイタルには友達と、自分を含めて3人で伺ったのだけど、最前列中央3席を陣取った。開場して間もなく到着したのでまだどの席でも選べたけどあえて最前列中央3席を。なぜならわたしたちは強火のオタクだから。
・開演前には満席になり、今回はオンライン配信も行われていたので、実際には会場の客席数よりもずっと多い来場者がいた。
・先生の音には明確に人柄を感じる。
・Photoshopで例えるけど、大抵、普通の学生による大学の試験くらいの演奏だと、技術的に難しい曲であればあるだけ、音から垣間見える人柄とか性格といったレイヤーよりも手前に、技術的な壁のフィルターが垣間見えることがある。「頑張ってる感」とでもいうべき、聞いてる側も緊張してくる一種のサインが音のフォルムや発音から感じられることが度々ある。
・先生の場合は、その技術的なレイヤーは透過されていて、ずっと下層にある、普通は表出するのが難しい、人柄とか、曲の解釈とか、そういったものがダイレクトに伝わってきてそのたびに心打たれる。
・2023年こそは、先生のもとへレッスンに行くのを再開したい…。
『コンサートのあとのラケル』(意味:全部満たされること)
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