「iPhone4と午後ティーの重み」2021年10月14日の日記


・昨年12月に「0メートルの旅」を出版された会社員兼ライターの岡田悠さんが早くも2冊目の本を出版されるということで、今から楽しみにしている。今回は家の中を中心に様々なモノを観察されたことがエッセイになっているということだ。


・10年間飲みかけの午後ティーを捨てる記事、数年前にわたしは読んでいたのだけど、あれ、岡田さんの記事だったのか...。たしかTwitter上で流れてきたのを読んで面白かったという記憶がある。


・検索したらすぐに出てきた。
・わたしはこの記事が大好き。内容について多くは語らないのでぜひ記事を読んでいただきたいのだけど、あまりに”彼女”に対する未練がありすぎるのではと思う。10年間部屋の温度に温められた午後ティーは意外にも衛生上の問題は(科学的な数値上では)少なかったけれど、10年間も(存在すら忘れるほどに)温め続けた未練というのはかくまで人を狂気に至らせるのかと思う。


・今度出版される本にもこのことがきっと書かれているだろうと想像するので、書籍版ではどんな風に書かれているのかいまからとても楽しみです。もちろん他のお話も。


・わたしが何年も同じものを使った思い出というのは、楽器は別にして、iPhone4が挙げられる。
・さすがに今は使っていない。わたしはトレンディーに憧れるあまりいたずらに二酸化炭素を排出し地球汚染を進めてしまう邪人(じゃじん)であるので、今のわたしはiPhone12proを使っています。


・iPhone4は中学3年生のおわり(たしか2月くらいだったと記憶している)に買ってもらった、わたしにとって初めてのケータイだった。そう、わたしはガラケーを使ったことが無い世代のはしり。大学生になって1年くらい続けた事務のバイトで会社のガラケーを渡されたけど使い方が分からず会社の人にあきれられながら教えていただいた。


・で、中学3年生で手にしたiPhone4を、大学3年生までの7年間使い倒した。最終的には冬場、本体が冷えると電源がつかなくなり、手でこすったりパンツのポケットに入れて温めてから電源をいれなくてはいけなくなり、充電も15分程度で100%から0%になるので、常にポータブル充電器に差していなくていはいけないありさまで、まるで点滴をつけた患者を連れ回している悪党でいる気分だった。


・大学3年生になって就活をするようになり、初めて向かう会社のビルへたどり着くためにグーグルマップは欠かせなかったのだけど、万が一ケータイの電源が切れてケータイが使えず試験や面接会場に行けませんでしたということになると大ごとなので、当時ケータイ料金を払ってくれていた両親にお願いしてiPhoneXへ機種変更をしたのだった。


・今もiPhone4はわたしの家にある。持ってみるとその小ささに驚く。久しぶりに実家に帰ったら両親の身長が少し縮んで小さくなっているのを感じたときの気持ちだ。
・この小さい身体で7年間もわたしの生活を支えてくれてありがとう...。
・数年前、このiPhone4は絶対もう使うことは無いので、売ろうかなと思ってAppleの公式HPから買い取り価格を調べたのだけど、400円くらいだったので売るのもやめて家に置いている。これは額縁に飾られた写真と同じ。存在するだけで価値のあるわたしの青春の7年間の証。


・7年間もこじらせるだけでこれだけ偏った重い想い(うまい!)が出てくるのだから、10年放置された午後ティーをあのように処理する気持ちも少し分かってきた気がする。

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