黒柴的パンセ #41

黒柴が経験した中小ソフトハウスでの出来事 #26

ここでは、中小ソフトハウスで勤務していく中で、起こったこと、その時何を考え、また今は何を考えているかを述べていく。

「Wくんが、自分の言うことを聞いてくれない」
これは、まだ昭和から平成に変わったくらいのころ、最初のソフトハウスで働いたときの先輩Nが自分に愚痴った言葉である。

黒柴が新人教育を終わった後、最初に配属されたグループにいたのが先輩Nだった。このグループは、リーダーの下に先輩M(中途2年目)、先輩N(新卒2年目)、そして黒柴という4名の体制だった。
ちなみに、黒柴は第二新卒的な感じで入社したため、新人と言っても当時は25歳くらいで、先輩Nは専門学校卒の2年目のため22歳と年下の先輩だった。

この先輩Nは、情報処理系の専門学校卒業だけあって仕事はできるのだが、それ以外の部分では独特の感性を持つ人だった。
昭和から平成初期あたりで働いていた人なら体験していると思うが、当時の勤怠管理はタイムレコーダーでタイムカードに出勤・退勤時間を打刻するというもので、勤怠時間の管理については厳しい時代だった。
特に出勤時刻については、厳格で1minの遅れでも「遅刻」とカウントされて、遅刻の回数は賞与の評価に影響を与えていた。

先輩Nは、どちらかというと遅刻の常習犯だったのだが、遅れる時間が1~5minと短時間の遅れがほとんどだった。N曰く「電車が遅れなければ、間に合うんだよ」というのが、言い訳だった。
Nは、総武線沿線(本八幡)に住んでおり、当時の会社はお茶の水にあった。多分、現状も大きく変わらないと思うが、都心に向かう通勤電車はラッシュ時にはその混雑から、1~5min程度遅れるのは日常茶飯事だった。
だが、Nはそのラッシュ時の電車の遅れが無ければ、Nが家を出る時刻で十分会社に間に合うんだと主張する。
また、学生が夏季休暇などで通勤ラッシュが少し緩和された時期などは、電車の遅れも少なくなるようで、ぎりぎりだが始業時刻に間に合い、それがNに対して根拠のない自信を与えていたようだった。

年度が変わり、チームの体制が変わった。毎年、新卒採用を行っていたし、チーム自体の新陳代謝も考える必要があるので、先輩Mが別のプロジェクトチームに異動になり、自分の下に新人Wが入っての4名体制となった。
このWも仕事はできる人だったが、感性は独特で、プライベートな話題とかはNと気が合うようで仲良く見えた。

それから、また5~6年経過した。その間にもいろいろと人事異動があり、黒柴はN、Wと別れて、違うグループの所属となり、作業フロアも別のビルとなったため、2人と会う機会がほとんどなくなった。
しばらくして、N、Wが働くフロアに用事があって顔を出したときに、Nが黒柴に対して話してきたのが、冒頭の言葉である。

このとき、Nはチームリーダーとなっており、チームにはWとその後輩となる2名が配属された4名体制となっていた。相変わらず、勤怠については厳格に管理されている時代だったのだが、Wは黒柴が知っている時期のN同様に些細な遅刻が多いという状態だった。
Nはチームリーダーのため、グループのマネージャからWの勤怠について指導するように指示されたのだが、指導してもまったく勤怠が改まらないとのことだった。

まあ、そりゃそうだよねと黒柴は思った。
Wは、Nからの指導に対して、Nが過去にしていたのと同じ言い訳をしてくるとのことだった。
Nは、独特な感性を持つといったが、メンタル的には普通の人で「オレはオレ、お前はお前」という強いメンタルで指導できるタイプではなかった。そのため、Wが過去のNと同じ言い訳をしてくることには、かなり参っていたようだ。

現状のIT業界では、20世紀のような厳しい勤怠管理は行われていないことから、この事例をもって「勤怠を改めろ」というつもりはない。
ただ、普通に働いていると、どうしても人の上に立つポジションになり、部下や後輩を指導していくことになる。
そのときに、過去の自身の行動が足かせにならないような言動を心掛けたいものだと思う。

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