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盗作という作品。

今日からこのnoteの音楽の読書感想文として残しておきたいと思う。
自分がいいと思った作品しか残さない。


ヨルシカの盗作、突き上げる思いを感じたので気持ちが新鮮な内にレビューとして残したい。


ヨルシカの新作が「盗作」であることを知ったのは7月の頭頃だったか。第一印象として不穏な空気しか感じなかった。それまで「夏草」「負け犬」「だぼやめ」「エルマ」をリリースしてきたヨルシカが新しい物語を始めると聞いて、個体(ヨルシカファンの通称)さん、自分含め、沸いていた。


新作の発表があり、「春ひさぎ」「思想犯」とMVの解禁になった頃、今振り返ればそこに美しい夏を描くヨルシカはおらず、どす黒い空気を纏った悪者がいるように感じた。しかし、のちにアルバムを聴き、小説を読み、それは紛れもなく世の中大衆、自分自身のことを指すとわかったときは鳥肌が立ちっぱなしであった。


恐らく、3月頃に公開された「夜行」、映画「泣きたい私は猫を被る」の主題歌、「花に亡霊」が公開された時点ではこの小説のゴールには全く想像がつかなかった。


アルバムの概要はぜひ各自検索で探していただきたいが、このアルバム、小説を初めに聴き終わり、読み終わった感想として「溜め息が出る」である。


私のヨルシカとの出会いは「だから僕は音楽を辞めた」の発売をYouTubeで知ったことだった。明後日には発売されると知ったその次の日にCDショップに予約に走り、次の日には手元にあった。
そのときに楽曲の美しさのみならず、その見た目と、コンセプトと、尖り方と、ファンを沼にはめさせる計算高さと、全てに感動を通り越し、溜め息が出た。


さらにその後、同年にあった全国ツアーの東京公演に足を運び、公演終了後の会場の鳥肌立つ、美術館で最高の美術品を見た後に似たような、神妙な空気感に包まれたときにふと吐いた溜め息、それに似ていた。


「盗作」の中でもこの作品の軸は「思想犯」にあると思うし、その「思想犯」のさらに深軸には「春ひさぎ」があると思う。
「思想犯」は小説全体を読むことで、それ以外のアルバムの各曲は小説の各節後半にある「盗作家の男の独白インタビュー」を読むことでその作詞、作曲の意図を垣間見られる。


とにかくこの作品は暗い。「ただ君に晴れ」が夏の日差しが照りつける昼の12時であるなら、全く反対の夜更け過ぎ、大人な空気がとても漂う作品だ。なんなら隠語や、犯罪に使われるような言葉も出てくる。
しかし、人間の素をとてもよく表している作品とも思ったし、それが伝えたいことでもあると受け取った。


最初に衝撃を受けたのは「春ひさぎ」が発表されたとき、MVの概要欄に付せられたn-bunaさんのコメントだった。以下、引用したい。

春をひさぐ、は売春の隠語である。それは、ここでは「商売としての音楽」のメタファーとして機能する。 悲しいことだと思わないか。現実の売春よりもっと馬鹿らしい。俺たちは生活の為にプライドを削り、大衆に寄せてテーマを選び、ポップなメロディを模索する。綺麗に言語化されたわかりやすい作品を作る。音楽という形にアウトプットした自分自身を、こうして君たちに安売りしている。 俺はそれを春ひさぎと呼ぶ。


これは以前から自分も常に感じていたことだった。「音楽に対する不満」といってもいい。世の中的には音楽は「どれだけ売れるか」「どれたけメディア露出を多くできるか」「J-POPであれば、恋愛の歌詞をどれだけ甘く切なく歌えるか、演歌であれば、どこで別れや日本海、雪景色といったワードを入れ込むか」というような、定型音楽が蔓延して「こうすれば感動する」の構文に発信する側も、受け取る側も洗脳され、どちらも心が安売りされている。それを見事に厳しく指摘した作品だと思った。やり方がうますぎた。もうこの時点で、このグループの音楽を一生聴き続けようと確信した。


「思想犯」はこの流れを汲んだ作品をいえると思う。先に述べたとおり、小説を読むことで楽曲全体の意味が理解できるが、第一印象としてとにかく心が抉られた。大衆向けの音楽を作られないという強い意志も、鋭い歌詞から垣間見られた。


実際に音楽のメロディというのは今や消耗品のように使われ、アーティストや楽曲が出ては消えを毎年のように繰り返している。それはやはり「使い古された音楽」を誰もがどこか自覚しており、良くも悪くも心に刺さらないというのが大きいと思う。だからこそこの楽曲の主人公はゴーストライターとして生き、徹底的に「盗作」することで生きる道を選んだ。その後、この主人公がどういう道を歩むのか、美しい夜を知ってしまった後、人生の続きがあったのか、気になるところではある。


盗作が手元に届いたとき、「こんな辞書を頼んだ覚えはない」と思うほど分厚い小説と、カセットテープデッキとダンボールの隙間もないほどのボリュームで届いて、「相変わらず尖っているな」と笑いながら感心していた。


だがそれと同時に、ここまでの作品を作り上げるn-bunaさんとヨルシカチームの創作の強い意志をひしひしと感じた。「作品を徹底的に作り上げる姿」はどのアーティストにも負けないと思う。というか、ここまで尖り続け、幅広い音楽や文学に見識があるだけでもすごいのにその範疇を大きく超え、作品に昇華させる力は並々ならぬ思いだと思う。そこまで突き動かすものは何なのか、人生何周したらその境地に辿り着けるのか、ぜひ本人たちに聞いてみたいものである。


自分が幼い頃、音楽アルバムに抱くイメージは写真のアルバムのように撮られた主人公の成長や思いの物語が進んでいくものって思っていた。しかし、世の中に溢れる音楽アルバムを手に取って聴いてみたとき、ヒット曲を集めたばかりのぶつ切りの物語で、そのほとんどが恋愛、そしてヒット狙いと知ってしまったとき、「これが音楽アルバムなのか」と大変残念に思った記憶がある。また、好きな曲もあれば、好きじゃない曲もあった。


だからかこそ、エルマとエイミーの物語に出会えたときは、「ずっと待っていたものに出会えた」の感覚がすごくあったし、微妙な感情の変化が見えたり、季節が移ろいだり、物語の考察ができたり、ずっと色褪せずに楽しめる作品を生み出し続けて下さっていることに心から嬉しく思っている。


この作品はヨルシカのロゴやグループ名には全て横線で消されている。これは最初「ヨルシカの作品ではない」「ヨルシカを装ったゴーストライターが書いたのか」と思ったが、その議論はきっとn-bunaさんから見たら不毛な議論で高みの見物されるものであろうから、あまり考えず触れないでこのレビューを終わりたいと思う。


作品に罪はない。n-bunaさんが以前に罪を犯した身でないかちょっと心配ではある。

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