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東日本大震災からの12年を振り返る

2011年3月11日14時46分、東日本大震災が起きた。
あれから12年、生かされていることを実感する。そしきのコーチ株式会社を設立した今、改めて創業の想いを振り返りたい。

思えばこの12年、まるですごろくのように本当に様々な人生の転機となる出来事があった。浮き沈みも大きく、しんどいことは数えきれないほどあったけれども、苦しいことがあってもその度に意味づけをして、未来の自分が過去を振り返った時、それは確かに必要で意味があったことなのだと捉え直して前に進んできた。その甲斐もありどんなに打ちひしがれてもレジリエンスを持って幸せを積み重ねてきた。
そんな経験は、確実に自己確信を深め、また新たな挑戦をする勇気をくれた。

家族抜きには語れないこの12年


振り返る中で1番に頭をよぎるのは、とても大事な家族の存在。特に妻への感謝の気持ちは、どんなに語り尽くしても伝えきれるものではなく、娘が生まれたその日から、娘が生きる世の中をもっと幸せを感じられる社会にしたい、という信念と生きる意味をもらった自分としては、家族の支えがあってこそ生かされている。
震災後、雪が降りしきる中歩いて10キロ以上を帰り妻と再会できた時の安堵感。
震災後にわかった、この世に生を授かることができなかった2つの命。
これまでの自分を支えてくれた多くの仲間・家族・応援してくれた人に生かされているとわかっているからこそ、自身の歩みは止めず、一歩踏み出す仲間をこれからも増やし続けたいし、自分自身も新たな世界に踏み出し続けたい。
それが自身の生きる意味・意義と繋がっていると信じて、今日に至るまで多くのチャレンジをしてきた。そして、その集大成であり再スタートでもある、「そしきのコーチ株式会社」は生まれ育った秋田本社
いよいよ、娘の誕生日にホームページをリリースする。

娘に背中を押されて踏み台した一歩


2011年3月、住んでいた家に突然住めなくなり、妻の実家に避難をすることに。
当然ながら今のようにリモートワークができる環境もなく、思いもよらぬ形で妻の家族との共同生活が始まった。
そんな中、2012年に忘れられない大きな出来事が起きた。

娘が産声をあげた(帝王切開の緊急手術だったが何とか母子ともに無事)

今日も元気で可愛い笑顔を見せてくれる我が子が無事に産まれた翌年
10ヶ月になった頃、パパとしてかっこよくありたいという気持ちが大きく芽生え、ビジネスパーソンとして表彰台に常連のように上がり、リーダーを務めていたチームもかなり好調で全国一位の成果を挙げられるチームに成長した。
娘が5歳になるとマネージャーとして活躍する道の打診を受けた。
ただ、自身としては元々興味のあった「組織開発」という分野で新たな道を歩みたいと、出世の道を捨てて東京で組織開発の道を学ぶことを決めた。覚悟を決めて選んだことには違いないが、想像以上に成果が出せず悶々としていた日々で、2018年頃までは「もう辞めたい」と思うこともしばしばあった。
複業を始めたのもこの頃。今思うと、なんとか苦しい状況を変えたい、そのために無我夢中でもがいている時期だった。

人生の時間の使い道


ただ、娘が大きくなるにつれて、「単身赴任」という働き方は、家族と一緒に過ごす時間があまりに少ないと疑問を持ち始めた。
人生の時間の使い方は本当にこれでいいのか?
優先順位を間違えていないか?
その問いに気付いてからの決心は早く、上司に自腹でもいいので新幹線通勤にしてほしいと懇願し、家族と共に過ごせる時間を大事にしようと決めた。その頃から世間はコロナウイルスが流行りフルリモートになり、と時代が追いついてきた感覚なのだが、今でもあの時の意思決定は良かったと心から思う。
自身が望むはたらき方の交渉をしていない世界は、きっと自分の幸せに背を背けたような道になっていたかもしれない。
その後、タニモクに出会い、複業もプロジェクト数が増えどんどん加速し、組織開発エキスパートとして活躍の場が広がっていった。そして個人事業主として生業にしていた「組織開発コーチ」は、2023年4月12日に「そしきのコーチ株式会社」として誕生。秋田本社と仙台営業所を同時開設することができた。
仙台営業所の近くには消防署があるが、実は12年前の震災当時にマスクをいただいて暖をとらせてもらえた場所にある。
お世話になったあの記憶を思い出しながら筆をとっている。

1人娘も今年で11歳。時が経つのは早い。ただ、この世には生を授かることができなかった二つの命の分も、この使命を果たして生きたい。

編集後記

これまでお伺いしたことのなかったこまっちゃんの12年、想像以上に色々な出来事が詰まった12年を聞いて、「何かを失う経験は、人を強くする」のだと感じました。キャリアの転機は、自分のWILLに素直になること!とお話しされたこまっちゃんは、人生の転換期に多くの内省と意味づけを行われてきたのが印象的で、現在も本業・複業だけでなく、プロボノでも活躍の場を広げられている根底に、生かされた命として常にお世話になった方々へ使命を果たしたい、恩返したい、という想いをお持ちだと再認識することができました。

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