『我が身と言えども烏滸がましい』
こんにちは。
Wholebody EducatorのMaiです。
久しぶりの投稿です。
ここ最近、新たな発見があり、それを自分のためにも書き留めておきたいと思い、久しぶりに投稿してみました。
息子の受験もひとまず終わり、ひと段落。
英会話などの自分の時間を取り戻しつつある状態です。
さてさて、私がPilatesを伝えていくにあたって、どんなことができるんだろうと改めて考えてみました。
インスタ映えする顔も持ち合わせていないので、私の場合は「書く」という方法が1番良いかなと思っております。
pilatesについては、後々紹介していきたいと思っておりますが、今日は「心と身体の話」。
こちら最近、読んでいる本です。
幸福学の前野隆司さんと武術研究者の甲野善紀さん。
このお二方の本を読まない理由はない!ということで、購入。
そこに、甲野さんのこんな言葉がありました。
『運命は完璧に決まっていて、
同時に完璧に自由である』
矛盾を含むこの言葉。
しかしながら
「I’m enough.」
と
「아직 멀었어요.」
(まだまだです)
が混在する私には、「スンっ」と受け入れられる言葉でした。
そして、なぜか私の中で「こころと身体は一体なのか?それはどういうことなのか?」という問いが生まれ、以前大先輩に言われた「クライアントの身体に敬意を払いなさい」という言葉から、「それならば自分に対しては?」という問いが生まれました。
そして、「あら、私って、自分の身体だからって勝手に脳で思い通りにしようとしてたわ。」なんてことに気付きました。
これはこれは、大きな発見です。
例えば、Pilatesの動きがあり、それを身体の声を無視して力づくで動くってのもそういうことですね。
身体は「まだそのタイミングじゃない!やめろー!」と言ってるのに、無視して動くこともそうですね。
分かりにくいですか??
簡単に言いますと「身体」は、私の「胃」はまだ「食べ物をいれないでくれ!」と言っているのにも関わらず、脳が勝手に「あー、なんとなくドーナッツ食べたい!食べちゃえ!」って食べちゃうということと同じです。
こんなことが、私たちの日常では山ほど起こっているんだと思ったら、身体に対して申し訳なくて、申し訳なくて。
そして脳に対しては「自分の身体だからって、烏滸がましい!!もっと敬意を払いなさいよ。」と思ったのです。
私のレッスンでは、そんな風にみなさんに、自分自身のことを大切にしてもらえる、自分の声に気付くきっかけを提供していけたらな…と思っております。
それでは良い週末をお送りください。
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