#16 言ってくれなきゃ、 わからない‼︎
日本とヨーロッパの一番大きな違いを挙げてくださいと言われれば、それは「言葉の使い方」ではないかと思います。アメリカ人と比べても、ヨーロッパ人はとにかく「ひたすら話す」印象があります。それはなぜでしょうか? 今日は「しあわせと言語表現」について考えてみたいと思います。
メンバー2人が実際に対話した記録を記事として毎週水曜日に投稿、導入部分は2人によるトークでお届けします。再生ボタンを押して放送をお聴きいただけると光栄です✨
〜 以下の記事は、上の stand.fm 放送の続きです 〜
海外で日本人とどう付き合う?
先ほどの話で、ドイツの大学のゲストハウスに9ヶ月間住んでいて、結局最後まで話すことがなかった日本人の方っていうのは、どんな方だったのですか? というか、話さずにどうして日本人だって分かったんですか?
研究者の方が男性で、奥さんとお子さん2人と、家族4人で来ている人だったんです。大学のゲストハウスには家族用の 3LDK のユニットもあるので、そこに住んでいました。
ある日、その家族とすれ違って、いつも通り「Hello」って挨拶したら、その直後にお子さんの一人が、「あの人、日本人みたい!」って日本語で。そこで振り向いたらバレますから、そのまま通り過ぎましたが、もったいないなあ、お話できたらひょっとすると家族同士で友人になれるかもなのに……と思いました。
透さんの年齢だと、気軽に話しかけられないものなんですか? 透さんはそういう、年齢や肩書にあまりこだわらずにどんどんコミュニケーションを取るタイプだと思っていましたが。
本当はそうありたいと思っています。でもその時は、そこで振り返って、「あっ、日本の方なんですね!」とは言えませんでした。おそらくその方は、30代半ばで日本の大学の助教か准教授あたりのポストで、ドイツへは在外研究員としていらしてたんだと思います。そうすると、「学術的なポジションは彼の方がかなり上、年齢は僕の方がかなり上」だったわけで、そうすると会話がとても難しくなってしまいます。オランダの大学では、相手が先生でも「ハイ、ダニエル!」って手を振る感じですが、日本だと立ち止まってお辞儀して敬語ですね、やはり。
なるほど……でももったいない。日本とヨーロッパの文化がどうこうという以前に、会話が始まらないとゼロのままですよね。「相手に失礼にならないように」って気を遣いすぎると、「失礼にならないように、話さないでおこう」になってしまうんですね。それって、少し男性特有なところがあるでしょうか?
そうかもしれません。でも男女間だとまた違う問題が生じます。美織さんとオランダの大学で初めて出会ったと考えてみてください。年齢は親子ほど違うわけで、僕からあまり話しかけすぎると、「何か勘違いされるんじゃないか」と思いますし、食事に誘ってもいいか、となるとさらに難しいですね。
2人だけにならないように、3人目を入れて、でも男性だと、「男性2人+女性1人」は失礼だから、3人目は女性で……そう考えているうちに疲れてしまって、気がつくと数週間、そうするといよいよ話しかけづらくなってしまいます。
たしかに、その通りですね。そう考えると、昨年の秋、透さんに「プロジェクトを始めたいから話したい」って言われて、「じゃあお会いしましょう!」ってスイスで会ったのは、かなりレアなことだったかもしれませんね。あの時、透さんが遠慮して私に声をかけなかったり、私が躊躇して「忙しいので……」って断ってたりしたら、しあわせ探求庁は生まれなかったわけですから。
あの時の2人の勇気と思い切りに感謝したいです(笑)ゼロをイチにすることは、本当に大切ですが、難しいですね。
推測のし合いで、最後はズレる?
話は少し変わりますが、日本には、自動販売機やゆるキャラなど、「人間以外のもの」が言葉を話すことって、結構ありますよね。今僕のいるオランダの大学のエレベータは三菱電機製で、ボタンを押してから到着するまでに時間がかかった時は、乗ると「Sorry for keeping you waiting」(お待たせしてすみませんでした)って謝るんですよ。そうするとヨーロッパ人は笑う人が多いです。僕もある時思わず、「Oh, that's very Japanese....」(日本っぽいですね)って言葉が出ました。
そういえば、日本以外では、機械が言葉を話すことが少ない気がします。何か理由があるのでしょうか? 機械と言葉といえば、透さんの専門分野になりますね。
これは、僕が立教大学の人工知能科学研究科で学んでいた時、三宅陽一郎教授の授業で聞いたことなんですけど、欧米では人間以外のモノが言葉を発することに独特の抵抗感があるようです。アニメやディズニーランドは基本的には子どものためのもの、という感覚がありますが、その理由をたどると、「言葉をきちんと使う能力=成熟した人間の証」という感覚に行き着くようです。
そこでいう、「言葉をきちんと使える」は、単におしゃべりする、会話するということを超えた意味なんでしょうか? 少しピンとこないかもしれません。
言葉の役割はいろいろありますが、重要な一つは、「自分が知っていて、相手が知らないことを、双方が知っている言葉を使って説明する」ということがあります。ヨーロッパは狭いエリアに多言語が入り乱れているエリアなので、さらに「できるだけ簡単で分かりやすい表現で、複雑な内容を相手に的確に伝える」技術がとても重要視されます。高校までの学校教育はそこを目指していると言ってもいいと思います。
なるほど、言語表現能力が、人間が人間である所以という感じになっているんですね。だから、機械が言葉を話すと居心地が悪い。YouTube で観光地や料理のレシピを紹介するような動画を見ていても、欧米のものはとにかくたくさん言葉を使って話しますよね。「見てもらえれば分かります」って感じにはしない……
その通りです。僕のビジネス経験では、その両極にいるのは日本人とスイス人だと思います。スイスは実に多言語国家で、ドイツ語、フランス語、イタリア語、そしてロマンシュ語の4言語が使われています。エリアによってどの言語が優勢かが変わり、「スイス語」はありません。「黙っていると何も伝わらない」を原点としている彼らは、言葉で物事を表現するのが実に上手です。彼らと比べると、アメリカ人さえも「むしろ日本人に近いな」と思えるほどです。ヨーロッパ人といると、本音を言わせてもらえるなら、「たまには黙れ!」って思うことも多いです。
(笑)日本人と日本語は、例えば「やばい」が場面によって正反対の意味を持ち得るように、許容範囲が広くてとても柔軟で、自由に使える言語ですね。そこから、「自分の考えを明確にしなくてもある程度伝わる」感覚が生まれてきて、さらに、「自分の考えを明確にしなくても済む」状態になってきている気がします。
日本家屋の間仕切りが、欧米みたいに壁とドアではなく、障子のように「ゆるやかな区切り」になっていることも、文化的に全部関係ありそうですね。緩やかな表現でもなんとなくメッセージが伝わってくれるのは、日本文化の優しさではあると思います。あるいは、緩やかな表現ではなく、そもそも言葉を発せずに、いわゆる「空気を読んで」コミュニケーションを取ることもありますね。
それが、「言葉にしなくても伝わる」のか、あるいは「言葉にする技術が未熟だから言葉にしていなくて、伝わっていると勘違いしている」のかは分かりませんね。それが夫婦間や恋人同士の間で起きるかもしれないと考えると、怖くなります。
そうですね、言葉にせずに空気を読み合って、それが正しい場合はいいのですが、多分ほとんどの場合は外れているように思います。「推測のし合いで、最後はかなりズレる」って感じかもしれません。それを「日本文化の良さです」とはあまり言いたくないですね。大切な人には、推測ではなくきちんと言葉で想いを伝えたいと思います。
筆舌に尽くし難し
美織さん、すこしだけ英語の話をしてもいいですか? 今日の内容にとても関連の深いフレーズを思い出しました。
どうぞどうぞ、透さん、英語の話するの、普段かなり我慢してますよね。いつでも話してくださっていいんですよ。
ありがとうございます。日本語に、「筆舌に尽くし難し」、つまり「言葉では表現しきれない」っていう言い回しがありますが、英語で何て言うか知ってますか? かなりピッタリくる表現があって、「beyond description」、つまり「言葉で表現できる範囲を超えている」って言うんです。この表現の背後にはある前提があるのですが、分かりますか?
言葉に対して、beyond、つまり「その上をいく」と言うからには、前提として、一生懸命言葉で表現したという事実があるんですよね?
その通りです。日本語の「筆舌に尽くし難し」も、言葉を尽くして一生懸命書いたり話そうとしたり努力はするけれども、「それでも表現し切れない」という意味ですよね。つまり、「とことん言葉を使う」ことが前提としてあるわけです。ここで、日本文化で「それは言葉にできないよ」という場合の状況を考えてみたいのですが、どうでしょうか?
私はどの国よりも日本が大好きなので、あまり批判したくはないのですが、やはり「最初からあまり言葉で伝えようとしていない」場合もあるように感じます。何か少し難しいものに出会うと、「言葉にならないね〜」って、最初から伝えようとしていないというか、なんというか。
音楽や美術などの芸術作品を鑑賞する時も、感想をたくさんの言葉で伝えるのではなく、胸に手を当てて感じるべきみたいな価値観がありますよね。それもとても大切だとは思いますが、言葉で伝えようとすることで、改めてよく理解できたり、あるいはその感動を他者に伝えられたりするので、僕はやはり「言葉で伝えようと努力すること」がとても大切だと感じています。
お隣の中国の方もたくさん話しますよね。日本文化の「あまり話しすぎないことの美しさ」という価値観がどこから来たのか、とても興味があります。
カウンセラーの最大の悩みとは?
最後に、今日の話題に関連して、僕がお世話になっているカウンセラーの先生と話したことを紹介したいと思います。その先生は小学校と中学校にスクールカウンセラーとしていらっしゃっているのですが、ある現象に戸惑っていると聞きました。なんだと思いますか? 今日話したことと関連があります。
外部のカウンセリング施設に行くのは敷居が高いですが、週に1日でもカウンセラーの先生が学校にいてくださるのは心強いですよね。「あの先生毎週いる人だ」って思ったら、きっと生徒も話しやすいんじゃないかと思います。でも、何かその先生が戸惑われていることがあるんですよね……
それは、カウンセリングルームに来ても、何も話せずに沈黙している子どもたちが一定数いることだそうです。先生の方から一生懸命何があったのか、何が辛くて困っているのかを聞き出そうとするそうなのですが、それでも「うまく言えない」と辛さを抱えるだけになってしまっている子どもがかなりいるそうです。
自分の気持ちを言葉にして伝えることができてないんですね……それじゃあ、せっかくカウンセラーの先生がいても、問題解決につながりませんね。親だから、先生だから、言わなくても分かるということは、実際は無理ですよね。
そうして、どうしようもない辛い感情を言葉にして他の人に伝えることができない場合、その辛い感情はどんな形で外に出ると思いますか? 人間の内部、外部というように考えると、表現方法は悲しいですが二つしかありません。
しあわせ探求庁誕生の日に、スイスのベルンで透さんにいただいた本(下記参照)を読んだので分かりました。とても悲しいですが、それは「他者への暴力」あるいは「自分への暴力 = 自傷行為」ですね。どうしようもない辛い気持ちが一定以上に大きくなって、言葉にもできない場合、身体の動きでしか表現できなくなってしまうんですね。どうしようもない時に、暴力に訴えてしまう子どもが一定数いるのは、言語能力と関係があるというのが、透さんの見立てですね。
僕はそう考えています。この実情は、決して「日本人の美徳」ではないですよね。ちゃんと大人になれた人が、「細部まで全部言葉にしすぎずに、時に日本的に推測しあうコミュニケーションを取る」のは日本らしくていいと思います。でも、子どもが自分の辛い気持ちを言葉でちゃんと大人に伝えられるように、必要な時に必要な助けを呼べるようにしておくのは、大人の責任だと思いますね。
私も、デンマークから日本に帰ってきて、新しい仕事を始めて、日々の生活で感じたことを言葉にすることが少なくなってきているように感じます。時間を工夫しながら、言葉にする勇気やその習慣を大切にしたいと思います。
「 今ここで、しあわせを繋ぐ意味がある」〜 しあわせ探求庁でした✨
また来週水曜日にお会いしましょう! 来週は3人目のゲストの登場です!
(2024年7月31日)