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JERSEY BOYS チームGREEN大千穐楽


感想

横須賀芸術劇場でチームGREENの大千穐楽を見てきました。
大千穐楽に限らずジャージー・ボーイズに関して書きたいことがたくさんあるので、記録のためにつらつらと書き連ねていく。
私がこのジャージー・ボーイズを始めて見たときの感想は、かっこいいということだった。その「かっこいい」は顔がかっこいいとかそいういう類のかっこいいではなく、物事に対して真摯に向き合った人間のみが持ちうる内面から発光するような「かっこよさ」だった。



登場人物

トミー

大人になりなりきれていない大人というような人物に見えた。
見栄と虚勢を張っているけれど、本来のトミーはもっと幼くて小さい人物だったのではないかと思う。
現実と理想の中でうまくやりきれないという葛藤を抱え、それがもっとトミーの見栄と虚勢を大きくしていっているように見えた。
うまくやりたいのに現実の自分はなぜかうまくやれず空回りをしてしまい、それが一人前の男としては恥ずかしく、自分のプライドが傷ついてしまうから、さらなる虚勢を張ったり、見栄を張ったりしてしまっているように感じた。
こうしたことは私にも身に覚えがある。誰も相手にしてくれないから大きなことを言って人の気を引いてみたり、注目してもらおうしたりする時期があって、その時の自分を見ているようで、胸がキュッとなった。
多分こう言った側面は多かれ少なかれ人間の胸の内にあることなのかもしれない。

ボブ・ゴーディオ

Short Shirtsで始めて舞台に登場するときには、心も成熟しきっていないティーンの可愛い坊やという印象だったのが、話が進んでいくにつれ立派な大人に変わっていくから本当にすごい。
ボブは冷静で常に先のことを考え合理的に行動する人間のように見えた。
しかし音楽のことになると冷静さを失い、ボブの心の内側の情熱がはっきりと目に見えるように溢れていて、ボブもやっぱり人間なんだということを再確認させられた。
いつも冷静沈着で合理的に行動するだけじゃなくて、自分の中でこだわりを持っていること・自分の核心に触れるような事柄には、感情をむき出しにして落ち着いていられなくなるところが、人間らしくてとても好きだっ
た。

ニック・マーシー

秋の場面でのニックの言葉はどれも胸に刺さってくる。
それもその場その場で直線的に刺さってくるというよりも、後になってチクチクと効力を発揮して、ハッとさせられるような言葉ばかりだったように思う。
また、ニックはおそらく誰よりもグループのことが好きな人物だったのではないかと私は思う。
グループのことが好きだったからこそ、トミーの問題でボブとフランキーが2人で物事を決めてしまい、ボブが「僕たち2人の将来に」という言葉を使った時には、大きなショックを受けたのだろうと私は思う。
みんなでグループをやっていると思っていたのに、そのグループの中に自分の存在や価値がないことを突きつけられてしまい、自分の居場所がなくなったと感じたからこその「グループをやめる」という選択だっったのかもしれない。
私は自分のことが可愛くてしょうがない人間なので、そうやって人からの何気無い言葉の端に、私の存在がないこと・軽く扱われていることを感じ取ると、私はこの場所に居たくない思ってしまう。もっと自分を大事にしてくれるところへ行きたいと思うだろう。ニックには共感する部分が多かったように思う。

フランキー・ヴァリ

フランキーの言葉の中で印象に残っているのは、「僕は成功のハシゴを登ったがそれだけ。君が家族持ちなら僕よりずっと優れている」というような意味の言葉である。
フランキーのように世間から認められ、スターと呼ばれるような人物にも私たちと同じように苦しむことがあるのだという新鮮な驚きとともに、彼もまた人間なのだという事実を突きつけられた。
私が思って居たスターはステージ上で輝くのはもちろんのこと、自分の実生活の中でもステージ上と同様に全てをうまくこなし、順風満帆な生活をしているものと思っていた。
だからこそ実際に現実の中でひたすら前に進めるようもがきながら生きているフランキーには、親近感のようなものが湧いたし、同時にその必死に生き抜く姿がとてつもなくかっこいいと感じた。

全体を通して

4人の物語には、それぞれどこか理想と現実との間にギャップを抱え、そのギャップの中で苦しみながらもがいて必死に生きようとする姿があるように思った。
ニックが「俺たちは誰も聖人ではなかった」と言っていたけれど、その言葉が4人を見ていると、説得力を持って私の中に響いてきた。
スターと言われたその現実の中には、うまくいかないことがたくさんあって、自分の中に苦しみを抱えつつも、なんとか必死に生きていこうとする姿の中には人間らしい輝きがあるように感じた。
一見泥臭くて不器用で鈍臭いように見えるかもしれないけれど、その生き方の中には、見逃せないほどの強烈な人間としての輝きとかっこよさが存在するんだなと4人を見て感じた。
そんな4人を見て私も泥臭く不器用な人間なりに頑張りたいと思いました。



楽曲

どの曲も好きなのですが、特に以下の曲は印象に強く残っているものです。

What a night(1963)

リズムもよくてすごく好きな曲だった。
特にこの場面のボブが初めての経験をするときには、なんとも言えない喜びがあった。
音楽の才能も背丈もその思考も大人のように見えるけれど、どこか幼さが残っているような印象のボブが初めての経験を終えたときには、一人前の男になっていた。
これまでのボブとは異なり、一つ上がったステージの上から物事を眺めているような大人な余裕を感じさせる一皮むけたボブに変わっていた。
それが人の成長を思わせ、一人間として頼もしくそこに存在していることが私はとても嬉しく感じた。
歌声も心なしか自信がついたように聞こえたので、本当に不思議だ。

Dawn

4人の背中がカッコ良すぎた。
この曲の中でボブが語っている言葉が私は個人的にとても好きだ。
一般市民にフォーシーズンズの曲が刺さり、その一人一人の心を動かしていたのだと思うと、その壮大さと嬉しさに感動してしまう。
この曲の場面では、彼らがトップへと上り詰めているその状況を目の当たりにした感覚になり、すごいと感嘆する感情とともに、その彼らのかっこよさに心が震え、涙せずにはいられなかった。

Rag Doll

4人がまた集まって一緒に歌う様子は、またあの4人が集まったんだという感情とともに、20年の時を超えそれぞれが各々の時間を過ごしてきたからこその絆があるような気がして胸がいっぱいになった。
長い時間が過ぎても4人が集まればフォーシーズンズとしてあの時のように歌っているような感じがして、嬉しくなった。
また、トミーがいった言葉は、大衆から変わらず愛されているフォーシーズンズというグループの偉大さ・魅力の大きさを再度突きつけられて、このグループはカッコ良すぎるなと思った。
カッコ良すぎるくらいにかっこいい。
殿堂入りかっこいい。

Who Loves You

私は4人の独白が終わって、また4人が揃って歌うときに、トミーがお腹のあたりをさすりながら深く息を吐いているところを見た瞬間に、「あ、やばい。」と思った瞬間に私は涙を流していた。
そうすると他にもニックやボブも泣いていて、感極まって泣いてしまった。
そのときにはこのミュージカルを見ることができて、ジャージー・ボーイズという素敵な瞬間を目撃することができて、本当に嬉しいという気持ちでいっぱいだった。


好きなシーンについて

私がこのジャージー・ボーイズの作品を通して一番好きなのは独白のシーンです。
特にボブのシーンが私は印象的。
ボブの最後の言葉は、これまでの人生の中で楽しいことも苦しいことも辛いことも悲しいことも嬉しいことも、たくさん経験してきた上で、当時のことを振り返る今だからこそ言えるボブの言葉のように感じた。
その言葉に全てが詰まっているのではないかというようなそんな感じの言葉だった。
有澤ボブが少し茶目っ気のある口調で、自分に才能があることも自信があることもわかりきった上でサラッと「あーしたことは起こり得なかっただろう。僕がいなければ」と言ったときに、今も生きているボブ・ゴーディオ本人が透けて見えた気がした。
50代か60代くらいののボブ・ゴーディオが現れた気がして、目を見張ったし、そうした説得力のある言葉と姿勢と有澤ボブに全身が震える思いだった。



大千穐楽のあの空間に私はいたわけですが、私はその大千穐楽を形作る観客としてその場にいることができて本当によかったなと感じた。
キャストの皆さんは泣いていましたけれど、その理由はそれぞれあるかもしれないのですが、ジャージー・ボーイズという作品に携わり、その中で大千穐楽を迎え、フォーシーズンズを演じきった中で見た景色に涙をしているのだとしたら、このジャージー・ボーイズという作品の持つ底しれない魅力に感嘆する思いです。
私たちが魅了されるのはもちろんですが、ジャージー・ボーイズという作品を通して、フォージーズンズを演じたキャストの方達の元にも何かを届けるのは、すごいなと思いました。
多分私はキャストが変わってもこの作品を見に行くだろうと思う。だけど欲をいうなら、あの4人のフォーシーズンズをまた見たい。

この作品もあの4人も大好きだ〜〜〜〜


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